プロフィール
■出身地
秋田県男鹿市
■元ラグビー日本代表
世界選抜メンバーとして日本人で唯一3度出場。
歴史的ダイビングトライは世界中のラグビーファンに語り継がれている。
秋田工業高校入学と同時に1年時からレギュラーとして全国高校ラグビー選手権優勝。明治大学でも1年からレギュラーとして活躍。4年時には主将として、全国大学選手権優勝。19歳に日本代表に選出されてから、1991年、1995年の2度のワールドカップに出場するなどキャップ数30を持つ。1992年、1996年、1997年には世界選抜メンバーに3度選出され、世界の翼と評された日本ラグビー界史上最高のウイング。
1991年大学選手権決勝の早大戦、サイドライン沿いを導火のごとく駆け上がった逆転トライや1992年ニュージーランド協会創立100周年記念ゲームVSオールブラックスでのダイビングトライの鮮烈な記憶はいつまでも語りつがれている。
大学卒業後、誰もが驚いた進路を選択。当時東日本リーグに加盟したばかりの伊勢丹に進み、主将となり全国社会人大会ベスト8までにチームを牽引する。1999年伊勢丹がリーグから撤退することを機に新たな環境でラグビーに取り組むことを模索し、現役生活の全てを掛け、かねてからの夢であったシャンパンラグビーの国、フランスへの道を選択。日本人で初めてフランスプロ・ラグビーリーグ・ディビジョン1(1部リーグ)のチームに2000年5月の入団テストを経て合格しコロミエとのプロ契約を締結。
その後、三洋電機株式会社と日本人ラグビー選手として初めてのプロ契約を締結した。
2004年3月に現役選手を引退し、フランスへのコーチ留学を得て横河電機ラグビー部のヘッドコーチに就任。就任4年目にしてチームをトップリーグ昇格に導いた。
経歴
■秋田工業高校入学と同時に1年時からレギュラーとして全国高校ラグビー選手権優勝。明治大学でも1年からレギュラーとして活躍。4年時には主将として、全国大学選手権優勝。19歳に日本代表に選出されてから、1991年、1995年の2度のワールドカップに出場するなどキャップ数30を持つ。1992年、1996年、1997年には世界選抜メンバーに3度選出され、世界の翼と評された日本ラグビー界史上最高のウイング。
1991年大学選手権決勝の早大戦、サイドライン沿いを導火のごとく駆け上がった逆転トライや1992年ニュージーランド協会創立100周年記念ゲームVSオールブラックスでのダイビングトライの鮮烈な記憶はいつまでも語りつがれている。
大学卒業後、誰もが驚いた進路を選択。当時東日本リーグに加盟したばかりの伊勢丹に進み、主将となり全国社会人大会ベスト8までにチームを牽引する。1999年伊勢丹がリーグから撤退することを機に新たな環境でラグビーに取り組むことを模索し、現役生活の全てを掛け、かねてからの夢であったシャンパンラグビーの国、フランスへの道を選択。日本人で初めてフランスプロ・ラグビーリーグ・ディビジョン1(1部リーグ)のチームに2000年5月の入団テストを経て合格しコロミエとのプロ契約を締結。
その後、三洋電機株式会社と日本人ラグビー選手として初めてのプロ契約を締結した。
2004年3月に現役選手を引退し、フランスへのコーチ留学を得て横河電機ラグビー部のヘッドコーチに就任。就任4年目にしてチームをトップリーグ昇格に導いた。