双子の月が朝陽のオレンジと空の藍色に飲み込まれ、ホバートの特別な一日が遂に始まった。
迎賓館の一階の居間で疲れ果てて仮眠してしまった旅人たちは、窓から差し込む朝陽に急かされるように起き上がる。
「ドームを出発してからの出来事が、まるで一夜の夢のようだ」スカーがメタルアームで頬をつねりながら言った。「今ほんとうに目覚めているのかな?って感じ」
「まったくだ。それなのに、昨晩インセックの二人がここに来た事は、遠い昔のようにも思える♪」
「旅をしてると、時の流れが渦を巻いているようだな」ハンマーが頭を揺すりながら訊ねた。「エース、それももう少しで終わるんだろ?」
「うん。いいかい、二人ともよく聴いてくれ…」
「みんな!こっちに来て欲しいある!」エースが質問に完全に答える前に、2階からワンの呼ぶ声が聞こえた。「民たちが…」
「ワン、それを貸せ!」エースが双眼鏡をひったくり、エリアBの様子をじっと観察する。「居留地の周りは全て川の流れになっちまった。水が引かないと民たちはあそこを動けない…」
「それどころか、水嵩があれ以上増すと居場所がなくなっちまうかもしれない」ハンマーが言った。
「雨も降らないのに、水があんなに増えるなんてルール違反あるぞ!」
「くそっ!ヤツらがルールを決めてやがるんだ!」スカーが鉄の拳を掌にバシっと叩きつけた。「また、人質をとりやがった!」
「幸い、いまのところ川の流れは穏やかなようだ」双眼鏡をのぞいたままエースが言った。
「それにしても、なぜ昨日のうちに高台に移らなかったんだろう…!」スカーが声を荒げた。「自由に動けたはずなのに」
「絶対にあそこに迎えに行くから動かずに待っていろと、オレが約束しちまったからさ♭」エースが頭を抱えて言った。「彼らは子供のように正直なんだ…」
「スゲー、見てみろ!テントの奥で民たちは平然と朝食の準備をしているぞ!」双眼鏡を受け取ったハンマーが言った。「なんて精神力の強い人たちだろう。それとも、鈍感なのか?」
「絶対に鈍感ある。わたしにちょと似てるある」
「エース、どうする?!」スカーがリーダーに訊ねた。
「助けに行きたくても、日暮れまでは絶対にここを出られない♭」
「そうか…。あの二人が薄暗闇に紛れここの鍵を開けに来るのは、日が沈んでからという手筈だった」ハンマーが言った。「それまでは、ここで状況を見続けるしかないのか…」
重苦しい空気を和らげるようにエースが大声で言った。
「みんな、いま出来ることをやっておこう!まずは、いつ旅立ってもいいように荷物をまとめてラクダに積んでおくんだ。終わったらここで最後の作戦会議をしよう♪」
「兵はもう適所に移動させたのか?」ショウグンが後ろを歩くエンゾに訊ねた。
「はい。神殿の警備の親衛隊を除いて、ほぼ“泉”と“ダム”のほうに移し終わりました」
「うむ。工員たちは、もちろん避難したのだろうな?」
「仰せの通りに、昨晩のうちにエリアDとF居留地に移しました」
「万全だ。あの高台からも、今晩ここで起こることが見渡せよう」
「わたくしは、最も重要な舟着場の警備の指揮を執ります」エンゾがショウグンに訊ねた。「ショウグン様は、今宵の出来事の見極めにいずこかにお出かけになりますか?」
「旅人たちは、必ず舟着場に現れるだろう…。わたしはそれをあそこで待つとしよう。それまではここで高見の見物だ」
「気がかりなのがエリアBの年老いた民たちです…」エンゾが言いにくそうに注進する。「ダムを完全開放して“津波”のエネルギーを充填し終わるまでの三分間に、あそこは水没しかねません」エンゾの眉間に深い皺が刻まれる。
「計算では100人の民が居残れる広さは辛うじて残るはずだ。予定通りコトが進めば、民たちの犠牲も最小限で済むであろう」
「万が一、船出が失敗すれば…」
「あそこに津波が真っ直ぐに向かうことになろう」そう呟いたショウグンの仮面が、少し悲しそうな表情に変わった。
「婆さん、今日はまたいい天気だがに」オージンが、傾いてきた昼下がりの空を見上げて言った。「もうすぐ、いい月が見られそうだがに」
「あんたも呑気な爺だわさ。空ば〜っかり眺めて」フリッグが周囲を見渡して言った。「足元を見てごらん。川の流れに閉じ込められちまっただわさ」
「小さいことは気にすんな。ワカチコ、ワカチコ」
「どんだけヒョウキンな爺だわさ。でも、そんなとこに惚れたんだわさ〜」フリッグが語尾を思い切りフェイクして伸ばした。
オージンのシワシワの頬が、誰も気づかない程度にばら色に染まる。
「でもさ、爺。もしこれ以上水嵩が増したら、ワカチコ言ってる場合じゃないわさ」フリッグがのんびりムードに水を差した。「われらは“風の民”。泳ぎは全員さっぱりだわさ。どうするね?」
これを聴いて、オージンは遥か昔から伝わる風説を思い出す。
「昔、民の仲間が川に落ちて死にかかったことがあったがに」オージンは思い出しながら話を続ける。「えっと…。そこに運良く旅の者が通りかかったそうだがに」
「ふんふん、それで?」フリッグは、オージンが気を悪くしないよう、百回以上聴いた耳タコ話に初めて聴くような相槌を打つ。
「その旅人は濁流に身を投げて民を救ったがに。でも、旅人だけはいつまで待っても水から上がってこなかった…。あれも、双子の月々食の晩だったそうだがに」
「悲しいだわさ〜。その旅人はいずこの空の星になったことか…」
「だから、わしらも旅人たちが救ってくれること間違いなしだがに!」
「その他力本願で楽天的なとこも好きだわさ〜」
テーブルの上に古地図を広げ、旅人たちは最後の打ち合わせをまだ続けていた。
「ここに書いてある舟着場ってのが怪しいな…♪」エースがダムの北側の一点を指して言った。「なぜダムの中に舟がつけられる?壁に囲まれた場所だぜ」
「ダムの中を回遊するボートなんじゃないか?」スカーが言った。
――眠れ、愛しきホバートよ…それは第三の場所の名前…渡しの舟はロットネスト島に向かうだろう…双子の月と潮の満ちる夕べに♪
エースは子守唄をさらっと鼻歌で歌うと言った。「な?オレ達が探しているのは、ロットネスト島に向かう舟の出発点だ♭」
「他にそれらしい場所もないから、ここに行ってみるある」
「まあな…ガイドがいるわけじゃなし。出たとこ勝負しかないな♭」エースが言った。「とりあえず、全てはコーラを助け出してからだ!」
西の空が美しい黄金色に染まり、運命の夜の始まりを告げていた。
続く…
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