明大前10:04発の急行。いつもこの電車に乗る。
この時間になるとだいぶ混雑はやわらぐ。
まぁ座れるほどじゃないので、ドアの横、座席の端っこの手すりを背にするのがあたしのベスト・ポジションだ。この場所を取れないときはなんとなく落ち着かない。逆にすんなりそこに収まれるとその一日がツイているような気になる。
今日は……バッチリ確保できたぞ。
バッグからヘッドフォンでグルグル巻きにしたiPod nanoを取り出す。
渋谷まですぐだけど、とにかく電車の中で1曲は聴くんだ。何を聴くかはその朝の気分で決める。
レコード会社でバイトしてるんだけど、実は最近の音楽ってあんまり興味ない。
仕事上聴くことは聴くけど、なんかこうどれも同じような匂い、売れようってアクセクしているようなセコさ、と言うかね、そういうの感じて、ドキドキ、ワクワクしないんだよなー。
だから古いのばかり聴いてる。
ビートルズ、ストーンズ、ツェッペリン、サンタナ。ジェームス・ブラウンとかオーティス・レディングも。
あたし、歳はまだ21なんで、生まれる前の音楽ばかり!
だから友達とも音楽の話は合わない。誰もビートルズくらいしか知らないし。
もちろん親の影響。お父さんがいっぱいCD持ってて。LPもけっこうある。友達はLPなんて見たことないかもしれないけど。
でもお父さんが特に私に聴かせようとしたわけじゃない。お父さんが聴いてるのを隣で聴いて、自然に好きになったし、小学校の高学年の頃からは自分で勝手に棚から引っ張り出しては聴いてた。
今日は、そうだなー、これ。
スティーヴィ・ワンダーの「Heaven Is 10 Zillion Light Years Away」。邦題は「1000億光年の彼方」。
ロマンチックなサウンドと優しく包み込むような歌い方がすごくいい。
だいたいタイトルがかっこいいよね。
「10 zillion」で「1000億」なら「zillion」は「100億」だけど、「billion」が「10億」だから単位として変だなって思って、辞書引いてみたら「zillion」はもう数えられないくらいすごく多い、無数のって意味で数の単位じゃないみたい。
下北沢に着いてドアが開き、閉まり、車内はちょっと窮屈になった。
曲は2コーラス目を終わり、大サビに差し掛かろうと……とその瞬間、左耳の音が消えた。
「え!?」
誰かの身体、もしくは持ち物に、ヘッドフォンのコードがひっかかって左耳のがはずれたんだ、と思い、あたしは左うしろを振り返った。
そしたら、見知らぬ若い男がそれを自分の左耳に入れようとしているじゃない。
「え!なんで?」
シャカシャカ音漏れがしていて、注意されるの?とも思ったけど、男は一瞬目を閉じ音に聴き入ったあと、にっこり微笑んで、
「ボクもこの曲大好きだよ」
と言った。
その笑顔ときたら、ほんとまったく屈託のない天真爛漫そのもので、あれこの人あたしの親戚かなんかだっけ?と記憶をたぐってみたくらい。
でも覚えがない。知らない人。
だったら何?この人。頭おかしいの?!
で、普通だったらそんな失礼極まりない男、許せない。頭にきてひっぱたいてるかもしれない……のに……、
そのあまりに無邪気な表情と、キラキラ光る瞳に、まずはあっけにとられ、
次いでなんだかとても暖かな気持ちになって、
気づいたら微笑み返していた。
ありえない!!
「これ、実は人種差別に対するプロテストソングなんだよね。
こんな美しい曲でそういうことを歌えるのっていいよね。」
彼の言葉にもあたしは素直に頷いて。
電車はすぐに渋谷に着いた。
「あ、それじゃ。どうもありがと」
彼はあたしにヘッドフォンを返すや否や、身をひるがえし、すべるようにホームへ飛び出した。あたしもすぐに降りたけどもうその後ろ姿は、たちまち人混みの中に紛れてしまった。