「薫は、あの通り開けっぴろげのあまり悩まない性格だし、オレはオレで金に全く興味のないおおらかな男じゃないか。似た者同士って言うか、ケンカしているように見えて、そこそこうまく行っているのかもな」
「半分戦争状態イコール平和状態…」熊井が意味不明の合いの手を入れビールを呷った。「中東情勢的な安定感ですね」
「へえ〜。解説してくださいよ」
「まあ、ガキがそろそろ完全に手が離れるだろ。ウチも倅(せがれ)の哲哉が来年には成人だ」
「しかし子供の成長って、マジ早いっすねえ」子だくさんの熊井がわざとらしい驚き顔をつくり言った。「うっかり長く出張すると、よその子と間違えそうになります」
「お前は遠洋漁業の船乗りか。カミさんと二人きりの人生ってヤツが目の前に迫っていることを、日に日に実感するようになるのだよ」
「それって、どんな気持ちですか?」
「どうもこうもあるか。現実として受け止めるしかあるまい」オレは言った。「でも不思議なことに、決してイヤだとは思わない。むしろ、この年になると好ましい気持ちがするぜ」
「へえ。そんなもんすかね」
「それがMID40世代だ。同期で年取るに比例してカミさんに益々惚れ込んでる男がいる。超熟女趣味のヤツでな。自分の理想に近づいているんだそうだ。まあ、オレ達も熱烈とは言わないが恋愛の末結ばれたわけだし」
「なるほど。そう言えば、赤の他人が20年以上も同居してるってだけで奇跡ですよね」桂田が言った。「芸能界なら表彰ものです」
「奥様との馴れ初めを聞かせてくださいよ」小松が言った。
「ほほう。お前が人のことに興味を持つなんてなんと珍しい!じゃあ、特別に話してやろうか…」
「間違いなく、お話長くなりそうですよね。ちょっと小便に行ってきていいすか?」桂田がいつもの台詞を吐いて話しの腰を折った。
「早くしろ。ウンコは禁止する」
あの熱い季節の盛り、たしか7月の17日に石原裕次郎が亡くなった。
享年52歳だぞ、52歳!若すぎると思わん?
世界一周マラソン中の間寛平が現在59歳。
つまりまだピンピンしてていい年齢だったのだよ。
オレは裕ちゃん世代ではないが、日本の巨星が消えたような寂しい気持ちがしたもんさ。
まあそうは言っても、世は正に中曽根長期政権下のバブルの真っ最中、なんだか日本中がおチャらけているような妙な世相の末期だった。
まあ、この年の秋にそんなバブルがパンと弾けて、以後日本は出口の見えない迷走を開始するわけだけどな。
巨星の死とバブルの崩壊。
なんだかマイケルの死んだ今年とよく似ていたかもしれないなあ。
ソンポに入社して2年目の新人だったオレが、広告代理店務めの大学の同級生に誘われて向かったのが、料理は大したことないがムード満点という個室の和食屋だった。
オレは、男性に欠席者が出たために当日急に呼ばれた助っ人だった。
そうそう助っ人って言えば、あのころの助っ人外人選手は粒ぞろいだったなあ…。
巨人のクロマティ、阪神のバース、大洋のポンセ、阪急のブーマー、広島のランス、日ハムのブリューワ。どうだ、すごいだろ。
なに?脱線はやめて先に行け?はいはい、判りましたよ…。
フェリスの彼女に振られて以来彼女いない歴2年になろうとしていたオレは、かなり期待してこの会に参加したものさ。
5対5の“ねるとん紅鯨団”的な飲み会だったんだけど、その時オレの対角線の位置、つまり一番遠い場所に座ったのが薫だったんだ。
あの頃の薫は、ファラ・フォーセット・メジャースみたいな髪に小麦色の肌の活発な娘だったっけ。
さて、会も中盤に差し掛かった頃、この晩の幹事である友人の加藤がおもむろに立ち上がって仕切り始めたんだ。
「はいはい、皆さ〜ん!ちょっと聞いて、聞いて。はい、そこの人も注目ぅ〜」幹事・加藤は耐え難いほど軽薄な口調で言った。「フリートークでみなさん大分いい雰囲気になってきましたんで…、ここいらでそろそろ恒例の…」
「質問コーナー!第一問。“一番好きな映画”はな〜に!」
たまげたネ…オレ以外の男子全員が、リハーサルしたみたいに声をそろえて言いやがった!コイツら、いつもどんだけ合コンやってんだよ。
「それでは〇〇ちゃんから、どうぞ!」幹事・加藤は、自分がもっとも気に入った娘から手際よくいじり始めた。「もしかして、“ハチ公物語”だったりして!うひょひょ!」
「わたし、けっこう映画見るの好きな人なんですよぉ。でもぉ、わたしってぇ、あんまり怖いのとかダメじゃないですかぁ。でも時々見たくなっちゃうんですよぉ…。だから〜、恋愛物が好きなんですよぉ。なのでぇ、一番のお気に入りは“E.T”で〜〜っす!」
妙な語尾とまったく論理性を欠いた展開の発言が売りのアホ女の次に、ショート・ボブのモノトーン女が登場した。
「か、係長…」小松が不安気な顔で、オレの思い出話を中断する。「な、なんで22年前の合コンの台詞まで完璧に覚えてるんですか?まさか、この後もノーカット完全中継でそれを聞かされるんでしょうか?」
「ん?ガマンの出来ないやつだなあ。薫と初めて出会った晩のことだから憶えてんだよ!しょうがねえなあ、ダイジェスト版でお送りするから黙って聞きなさい」
「あうあうあう…。ボクは一応広告代理店に勤めてるから、詳しいよ。言ってみて、言ってみて〜」幹事・加藤がスーっと潮が引いたような場の雰囲気を和ませようと必死でフォローする。「カトちゃん、ペっ!なんちゃって〜」
「多分誰も観てないよね…。“ストレンジャー・ザン・パラダイス”…」モノトーン女は無表情な声でつぶやくように言った。「ジム・ジャームッシュ監督の中では、これがやっぱり一番好き。去年公開になった、“ダウン・バイ・ロー”もいいけどね…。心の中に色彩を想像させる荒れた質感のモノクローム画面がいいのよね…。でも、頭が悪いと、彼が何を伝えたかったのか理解らないかもね…」
オレは、シラケ鳥が実際に飛んでいるのを生まれて初めて見るような気持ちで、妙な間をとるブティック店員の能書きを口を開けて聞いていた。
「あの映画でエディー役をやったリチャード・エドソンて、確かソニック・ユースの初代ドラマーでしたよね?」大人しくワイングラスを傾けていた薫が、沈黙を破ってモノトーン女に笑顔で訊ねた。「きっと、音楽はオルタナ系がお好きなんでしょうね?」
「わたしには“ストレンジャー・ザン・パラダイス”って意味深に見せただけの退屈なさすらい物のコメディーにしか思えないわ」薫はどこまでも柔らかい表情で言った。「さすらい物なら、寅さんシリーズのほうがずっといいな。今年の夏の“男はつらいよ・知床慕情”もけっこうよかったですよ!」
――すっげ〜!決めた!
オレはこの瞬間に、薫という女性に「特別な気持ち」を持つようになってしまったのさ。
まだまだ続く…
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特別な気持ちで/ブレッド&バター.......I Just Called To Say I Love You