路傍にポツリと放置された片っぽだけの手袋。
一人ぼっちで誰かに“おーい”と助けを呼んでいるようじゃないか。
この手袋が生き別れになってしまった相方に再び巡り会える確率って、いったいどれほどなのかな?
おそらくゼロに近いかも…なんて余計なことまで考えて、悲しい気持ちになってしまう。
それにしても、こんな光景をこの冬何度見たことだろう。
去年よりも手袋の落し物が劇的に増えたはずはないのに、何倍も多いと感じてしまうのは私の心とそれに伴う俯きがちな視線のせい?
そこでハタと気がついた。
こんな風にセンチメンタルなセンサーの感度がよくなってしまったのは、きっとあの震災のせいなのだ。
誰もが当たり前のようにささやかな幸福をそれなりに享受していた去年の冬、道に落ちた手袋などが感傷的に視界に入り込む隙などなかった。
きっと震災の記憶が、東京に住む私の物の見方まで変えてしまったのだろう。
言わんや、被災地の方々におかれては、変化はその比ではないと思う。
復興の途上にある被災地を除けば、全て元に戻ったかのように見える日本。
でもやはりあの日から、日本は、そして日本人は、いろんな面で変わっていたんだ。
友人の作詞家は、震災直後に被災地にボランティアで入ったっきり、いまだに東京に戻ろうとしない。
フェイスブックのウォールに、何もしてくれない政府を糾弾し、復興支援や反原発を呼びかけるフィードが舞い込まない日はない。
私自身、署名だろうが義援金だろうが、今まで考えられないほど抵抗なく反応出来るようになった。
気が付けば、電車に乗っても、街を歩いていても、見知らぬ他人の温もりを近くに感じるようになっていた。
自然環境と言う面では、以前と比較にならないほど、どころかもう取り返しがつかないほど悪くなってしまった。
そして、その責任を決して取ろうとしない、政府、役所、電力会社などのどうしようもない体制。
でも、それを少しでも補うために、そんなことに絶対に負けないために、人々は「良く」変化し、連帯を始めたのかもしれない。
願わくば、日本にも小さなジャスミン革命が起きますように。
FRYING DUTCHMAN - humanERROR
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