2012年02月07日

自由とは必ずしもいいとは限らない

忙しいという言葉を発したくないのは真実である。

忙しくなると無愛想になり、怖い。

しかし、忙しいと効率がいいのも確かである。

私って人間は暇を与えられたら、寝るだけの豚になりそう。

でも、そうじゃないかもしれない。

というのは河豚が存在しても馬豚は世の中に存在しないからだ。

ソテア先生は明日休みなので遊びに行っていい?と電話をもらって嬉しいが忙しいので「テアちゃんわざわざ遊びに来なくていいわよ。休みなさいなあ。私学生達の宿題を作りたいの」

帰朝するのは3月だが、学生にアサインメントを出したり、いない間に勉強してもらいたいというより、向こうから要請してきたので、持っている参考書10何冊を漁って研究方法論を急いで作っておきたい。(まだまだ終わっていないから忙しいのである)。

しかしソテア先生と楽長先生のおかげで私は勉強する機会が絶えず与えられて、絶えず楽しいことを味わえて
幸せである。

一緒にいるカンボジア人からみれば「なにが不自由あり、そんなに働くのよ。昼夜関係なく働くことはまるでポルポト奴隷のようでよく病気しないね」

いやいや精神は充実していて、美味しいご馳走に接していないから多少栄誉失調気味になっているが頭だけはばっちり輝いている。(トラちゃんの頭じゃないがピカピカ後光が射しているのである。)

ピカピカ輝く頭と関係なく、今日は「社会調査方入門」(盛山和夫著)には面白いものを発見した。

社会学者のデュルケイムの論である。

一夫一婦制は、結婚生活における女子の地位を高め、改善するためには、男子が一夫多妻制を好むその本能を犠牲にした結果であるとしばしばいわれている。だが実は・・・それによってより大きな利益を受けるのは男子のほうである。このようにして男子の放棄した自由とは、じつはかれにとっては苦悩の源泉でしかありえなかったものなのだ。女子には、それを放棄すべき同じような自由がなかったために、その点については、女子は、男子と同じ規律に服することによって、かえって犠牲をはらうことになったといってよい(『自殺論』)中公文庫343−44ページ)

コメントを控えたいが男性諸君妻に縛られて、少ないお小遣いで辛抱するってことはありがたく思いましょう。

放し飼い羊のように何でも自由にできる、おれは天下一品だと自慢したらストレスがたまっていいことが無いぞお。
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