信仰の寓意 1673 メトロポリタン美術館
僕はあんまりフェルメールは好きじゃない。この作品で気になるのがカーテンの柄と、背後のヤーコブ・ヨルダーンス 「磔刑」(1620年頃)と、この女性と、蛇が血を吐いているところ。
フェルメールはカーテンやテーブルクロスはたくさん描いているのに、柄に絵を描いているのは不思議。
これは16世紀後半のアウデナールデ織のもので、タペストリーは宗教的、歴史的、神話的情景や有名な画家の絵画作品を織り込んだりしているもの。つまり背景のヨルーダンスの作品同様に、宗教あるいは神話的なものを表現しているんだ。「馬を引いてる男」は何を表している?
アウデナールデ織のタペストリーは富の象徴を表すものなどもあるけど、17世紀のオランダ彫刻にもある「馬を引く男」は、当時なんの象徴だったんだろう。カトリック信仰っていう説があるらしいけど。どの解説にも載っていない。
このカーテンの端の柄って、「ヴァージナルの前に座る婦人」や「絵画芸術(画家のアトリエ)」にも描かれているのに似ている。ちなみにこの作品は「絵画芸術(画家のアトリエ)」と同じ構図らしい。
ヤーコブ・ヨルダーンの「磔刑」は、個人所蔵って聞いていたけど、小林頼子さんの著作本に「ヴァルラフ・リヒャルツ美術館 Wallraf-Richartz Museum 」ってあった。でも、美術館サイトで調べたけど、見つからなかった。
小林頼子氏の著作にあったのはフェルメールの財産目録に、この作品があったらしい。これは「アブラハムによるイサクの犠牲」を、この画中画に用いたフェルメール家のヨルーダンスの「磔刑」を代用したらしい。
神学的な考えでは、この「磔刑」と「アブラハムによるイサクの犠牲」は、キリストの受難とした主題であるらしい。
チェーザレ・リーパ(Ripa, Cesare)の「イコロノギア(Iconologia)」の信仰に関する部分をオットー・ファン・フェーンは「信仰の勝利 1610-20」で正確に描いているというが、フェルメールもこのイコロノギアを引用しているのか、フェルメールは他の作品のクピドと同じように、オットー・ファン・フェーンを引用しているのか。
「信仰は空色の上着を深紅色の服の上に羽織り、、月桂冠を被る女の座象であらわす、彼女は足下に地球を踏みしだき、右手に聖杯をもち、左手を本に置く、本の下にはキリストを意味する角ばった石があり、その下には蛇がつぶれて横たわる。死は壊れた矢を手に持ち、傍らには原罪のりんこがころがり、後ろには茨の冠が釘にかけられ、遠くにはアブラハムの犠牲が見える。」
懺悔するマグダラのマリア 1577年頃 エル・グレコ ウォーセスター美術館
なるほど、それで蛇がつぶれちゃったんだ。チェーザレ・リーバによれば白は純粋さを、青は天国を示す色で、作品の女性はそのドレスを身につけている。このフェルメールの作品の女性はマグダラのマリアって感じしない?
よく深紅の衣で描かれているのがマグダラのマリアだけど、フェルメール以前には青と白のマグダラのマリアも多かったよ。
これは「懺悔するマグダラのマリア」だ。足元にころがる原罪のりんごは、元娼婦のマグダラのマリアにぴったりだし。背後の「磔刑」に描かれた左側の女性は、たぶん無原罪の聖母マリアだろう。
そして何よりもこのヨルーダンスの描いた「磔刑」に描かれているマグダラのマリアの位置に描かれているし。
これってさ、こうして見ると、すっごく面白いんだよね。ここまで計算して描いたのかと思うと、ゾクッとする。この作品自体、どの作品とも違う妙味がある。これが本当なら。そうじゃなきゃ、全然イケテナイ作品だよね。
悔悛するマグダラのマリア 左 1533 右 1560 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
片手を胸に置き上方を見上げている「信仰」のポーズは、結構マグダラのマリアに多くない?そして香油壺や髑髏は描かれていないけど、聖杯と十字架がある。そして聖書。どの解説にも、そんなことは載っていないけど、僕的にそう思う。
しかもフェルメールよりも100年以上前の「悔悛するマグダラのマリア」を、彼が見ていないはずがないでしょ。
15世紀に聖母マリアの信仰運動がフランドル地方を中心に起こっている。黒いマリアと呼ばれる「マグダラのマリア」は、もしかするとフランドルでは好まれなかったのかもしれない。
フェルメール自身がプロテスタントで、カトリックに改宗したのは結婚8年目のことだ。妻の家族たちがカトリックだったからだ。
旧約聖書のヤーコブ・ヨルダーンの「磔刑」と新約聖書の「「アブラハムによるイサクの犠牲」はキリストの受難を示し、無原罪の聖母マリアと原罪(元娼婦)の黒いマリア、そしてプロテスタントとカトリック。これがこの作品に潜んでいることは間違いない。


