俳優ってスゲーと改めて、感じてしまう。
自分の中に他人を飼う、あるいは、自分が他人の皮を被る。その他人は時に自分を巣くう。役者は自分と他人を行き来しながら、また、他人だった自分を見ながら、作品を作り上げる。役者は一生のうちに、何人もの人生を経験する。作品を作る度、自分の中にたくさんたくさん経験を蓄積して、作品を作る度磨きがかかっていく。
そこそこにテレビっ子でありながら、今まで「役者」をそういった視点から見ることはなかった。それが最近、色んな俳優の映画関連のインタビューを見るようになってから、俳優という職業への意識がガラっと変わった。
あれは作られたものじゃない。そのもの。カメラ越しに向けられる眼光も、暖かい日差しの中で潤った瞳も流れた涙も、あれは作り物なんかではない、と。松山ケンイチの演技を見ていたらそう頭に浮かんだ。芸術だと思った。
カットがかかったその時、入り込んでいる人間から、瞬間的に自分が戻って来る。芸術だと思えた。
どんな小さなどんな短い役でも俳優は本気。ストーリー上どんな小さい役でさえ、少なからず、俳優はその役に思いを馳せ入り込む。作品には大きな大きな愛がこめられている。俳優だけじゃない。監督がいて、スタイリストがいて、装飾があって。芸術だ。
役、とは、俳優であり俳優でない。こまかく区切られたシーンを繋ぎ合わせ、映像ができあがるわけで、その、役、の生きた時間は連続ではない。役の生きた時間の間には俳優の思惑がしっかり詰まっている。役は、俳優と時間を共有することでやっとそこに現れることができる。役は恐らく四六時中俳優を支配する。姿なき役に近づこうと俳優はもがく。そして、時間を連続させて作られた画像を画面越しに見て、その役を最も近い場所からわかってやれるのは俳優しかいない。
当たり前だよ、俳優が演じてるんだから。笑
でも俳優の意図を超越した何かが絶対、映像には残っている気がする。俳優にもわからない、なにか…。
それを第三者が気付く場合だってもちろんあるのではないか。俳優とその役、それを別の視点から眺める評論家や観衆。でも、評論家や観衆が口の出せない遥か遠くに、その役と俳優がいるんだよね。一人の中に二人、いることで、深い深い世界が作られる。自分は気付かなくてもね。それってすごく美しい。
言い方がオーバーすぎたかもしれないけど、俳優は魅力的な職業だと、そう感じた。
ほんとに最近なんですけどね。笑
映画を見て、そんな事を考えてみると…
どんな映画も愛おしく感じてしまう。
気になる映画がかなりある。ぶらぶら巡りながら画面を通じて色んなものがみたい。