寄る年波には勝てず、近眼と老眼が同時進行で私の瞳に訪れています。
近視用の眼鏡の調整で、2年前に視力測定し、矯正をしました。
今、片目をつぶってみると、右の視界がぼやけているのがわかります。
そこに“老眼”という視力の老化現象が、悩みの種になってきました。
若い頃、一緒にバリバリ仕事をしてきた先輩方が、
数年前から、眼鏡をかけ始めたので、
「・・・どーしたぁん!?」
と声をかけると暗い顔をして、
「老眼だよ!ベッチィちゃんもそのうちくるからなっ!!」
「・・・いやいや、僕は、ド近眼だから、老眼にはそうそうならないッスよ(笑)」
なんて、話しをしていました。
確かに数年すると、まずはお碗に盛られた米粒ひとつひとつが見えなくなり、
新聞のラテ欄のQ落ちの活字も見えにくくなり、
とうとう、単行本の活字すら見えにくくなってしまいました。
悲しい
(今、新しい絵文字使用しましたが、モニター10センチまで近づかないとどんな形状なのかわからんでした・涙)
活字離れが広がっている昨今、私にも訪れた活字離れ(笑)
久々に2600円の単行本を購入してみました。
蓮實さんは東大のフランス文学の先生で、後に東大の総長を務めた方です。
一方、余興で野球批評(草野進という華道家名義で)をされたり、
70年代から現在まで映画批評を書き続けています。
日本の映画界では、一目も二目も置かれながら、
決してメイストリームにはならなかった映画批評家です。
蓮實さんが東大の教養学部の教授時代、立教大では映画論特講のような授業を、70年代から80年代にかけておこなっていました。
当時、日本映画界は、完全に撮影所制度が崩壊し、
各映画会社は、実質的な映画の製作をおこなえず、
配給網と映画館収入、所有不動産のしのぎ
(麻生発言の“しのぎ”よりは、的確に語彙を的確な文脈な中で使ったつもりです・笑)で、
ビジネスを成立させていた時代でした。
立教大学には、SPP(セント・ポール・プロダクション)という8ミリ映画サークルがあったのですが、
SPP所属の中で、蓮實先生の映画講義を受講していた学生が、
『パロディアス・ユニティ』という新しい映画制作組織を作ったのが始まりだと記憶しています。
今年で言えば「トウキョウソナタ」の黒沢清監督、
「接吻」の万田邦敏監督らが旗揚げメンバー。
私より、10才ばかり年長の方々だったので、
私の高校時代には、黒沢さんも万田さんも憧れのスターでした。
同時期には、私は余り好きな作家ではありませんが、
「それでもボクはやってない」の周防正行監督。
オウム真理教信者のドキュメンタリー映画を作り、
テレビのコメンテーターや著作も多い森達也監督も彼らの周辺にはいました。
VFXプロデューサーで売れっ子の浅野秀二さんも、このころの『パロディアス・ユニティ』の中核メンバーでした。
その後、わたしが大学の映研時代に多少、おつきあいがあった、
『黄泉がえり』やら『どろろ』という余り面白くない大作映画を作りつつも、
『害虫』や
オウム真理教をモチーフにした『カナリア』
という、傑作も発表している塩田明彦監督。
そして、青山真治監督。!
上記5本のうち4本まで、宮崎あおいが出演しています。
今年は、集中的に元「パロディアス・ユニティ」君たちの映画を集中的に観る機会が作れました。
20年以上前に、アテネ・フランセや日仏会館、フィルムセンター等で
同じ観客席で同じ映画を観た方々が齢を重ね商業映画を観る事が出来たということです。
贔屓の引き倒しではなく、圧倒的に彼らは面白い映画を撮り続けていることに励まされました。
蓮實先生の最新刊『映画論講義』の宣伝文句に
“立教ヌーベルバーグの育ての親”
というキャッチコピーを見つけて、爆笑はしてしまったのですが、
(“立教ヌーベルバーグ”より“パロディアス・ユニティ”という名を顕揚すべきだと思いますが!)
が、蓮實さんがいたことで、80年代日本・東京での映画体験は豊かになったのは間違いないし、立教ヌーベルバーグの作家達に多大な影響を与えた事も間違いないことは、同時代人として賛同いたします。今後、“立教ヌーベルバーグ”という固有名詞が認知された場合、蓮實さんの立場がアンリ・ラングロアになるのか、アンドレ・バザンになるのかはよくわかりませんが、それは東大総長というキャリアよりも名誉なことではないかと思います。
近眼だったら老眼ならないとおもってました