2009年10月12日

凡才に天才は書けるか?

普段読んでない作家の小説を読んでみようと思い、
前から目についてしょうがなかった西尾維新の戯言シリーズに手を出してみた。

で、これがとてつもなく面白い。
全六作のうちたちまち四冊目まで読み進んでしまった。

西尾維新の特徴は極端にデフォルメされたキャラクターで、
ライトノベル的な表現である。
なので、ついつい軽い作品かと思いがちだが、中身は相当に重厚である。



その一例がデビュー作にしてメフィスト賞受賞作の「クビキリサイクル」に現れている。
このクビキリサイクルでは、
様々な分野の天才達が集まった鴉の濡れ羽島という孤島で起こる殺人事件
を描いたものだが、
まずこの鴉の濡れ羽島というネーミングセンスが良い。

良い作品に頻出の特徴として、ネーミングセンスのよさがある。
例えば、デスノートの「キラ」と「L」や二十世紀少年の「ともだち」など
それだけでオリジナリティーを出し雰囲気を演出することができる。

と、そこまでは余談として、
本当にすごいと思ったのが、
この小説に登場する「天才」が本当に「天才」である点。

登場人物の園山赤音の会話が絶品だ。
「天才」が「天才」として話している。

当たり前だが、天才の思考回路をなぞるのは
凡才にはきわめて難しい。

極端なことを言えば、天才を描くのは天才でない限り不可能だ。
だから、小説で出てくる天才は擬似的な天才である場合が多い。
例えば
@奇行をする
Aわかるはずのないことをわかるとのたまう
などの手法がとられる。

典型例がシャーロック・ホームズで、
突然銃をぶっ放すなどの奇行を演じたかと思えば、
通行人や依頼者の名前や経歴を聞きもせずあてたりと
いう場面がしばしば描かれるが、
ホームズがそれらの推理を行った論理展開というのは、
例えばたまたま持ち物に名前が書いてあったりという非常に都合の良い
ものである。
すなわち、コナン・ドイルですら本当に天才を描くのではなく、
擬似的に天才を描いている。

が、西尾維新の場合、上記の手法に頼る部分もあるが、
天才を直接的に書いているように見える。
それぞれの天才が語る論理はそれぞれに筋が通っていて、
まさに天才が話すような意見になっている。
これはなかなかできることではないと思う。

また、年齢の割りに知識量が多いのも特徴だ。
例えば、ヒロイン玖渚友(くなぎさ・とも;このネーミングセンスも良いと思う)
は情報工学の専門家として登場しているのだが、
実際に情報工学の正確な知識を話している。
私の知る限りでは基本情報処理技術者以上の知識は持っているだろう。
デモンという用語の正確な定義なんか正直しらなかったし。

また、地の文ではしばしば古典の引用を引き、数学・哲学などなどの
知識や語彙をふんだんにちりばめている。
一体彼はどれほどの知識量があるのか怖くなるほどだ。
戯言シリーズ執筆当時二十歳とは到底思えない。

西尾維新と同じように若いうちから天才的な才能を発揮した作家に
乙一がいるが、乙一にはこのような豊富な知識量はない。
徹頭徹尾センスで書く作家だ。
結果、ここ数年乙一の新刊が出たという話を聞かなくなっている。
おそらくインプットが少なすぎた分、才能が枯れてしまったのではないか。
一方、西尾維新はかなりのハイペースで作品を出している。

そんなこんなで個人的に西尾維新の評価はかなり高い。
現時点で京極夏彦と同等で、年齢を考えればそれ以上の才能ではないか。
表紙に描かれるキャラクター絵にだまされて食わず嫌いになっていたが、
これは大変な本格的天才だと思った。
Posted at 22:29 | この記事のURL | コメント(7) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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