“ラヴ・ソングの女王”西脇唯のアーティスト・デビュー・シングル。作家としては、’89、リンドバーグに「JUMP」提供(「西脇淳子」名義)、その後、「風の大陸」「あしたも
一説には、2000年代は某男性デュオのゴースト・ライターをやっていたとのこと。
本作品「7月の雨なら」は、ミディアムナンバーである。
メロディーは、西脇が得意とするメローな旋律である。提供や正式デビューよりも先行して発売されたシングルなどにより、独自の世界観を持つメロディーを作れるようになっていたため、デビュー・シングルではあるが、楽曲のクオリティは高い。作曲は、基本的に音数は少なくまとめる。
アレンジには、シンセサイザーによる打ち込み、キーボード、エレキギター、リズム隊などである。このような作風が西脇の作品では基本となることが多い。
歌唱面は、線の細いヴォーカルが印象的である。フェミニンな声には少し憂いを帯び、やや濡れた感じのヴォーカルである。ヴォーカル・スタイルは、同時代の女性シンガーソングライターでは稀な存在であった。正式なデビュー以前に2作、また、この楽曲のレコーディングよりも先にレコーディングもしており、所謂、素人臭さが良い意味でない。
歌詞は、ラヴ・ソングの女王といわれただけあり、恋愛がテーマである。西脇は、作詞家として仕事を始めたために、詞を褒められるのが嬉しい、との旨の発言をしている。西脇の歌詞の特徴として、歌詞を読んでいると、目の前に女性が現れ、自分の今の心境を話しているのを聞いているかのような錯覚に陥るほど、よく練られた作品に仕上げる。先に挙げたエピソードのように、歌詞に対しての思いは強いものがあるのであろう。
「7月の雨なら」は、倦怠期に差し掛かった恋人への心情を女性側から、書いた作品である。人は誰しも、“大事にされたい”“愛情表現をして欲しい”といった欲望がある。もしも、されなくなったならば、どうだろうか。目の前にいて、その人の状況を逐一把握できるなり、連絡をしてくれるなり、何らかのアクションがあれば、心の均衡も保つことも出来よう。だが、これらがないときは、どのように相手を理解したならいいのだろうか。自分の状況も変わるように相手の状況も変わるのだろう、と想像は付くが、具体的にどうなっているのか、判らないと不安になる。見えないものに対して、人は不安を覚える。
いつまでも待ってはいられない。どんなに周囲の人間に支えられようと、生活が潤っていようと、友人Aは一人しかいず、恋人も一人しかいない。このような時、思いの先にいない人間の力は、無力だ。
人は関わりあいながら、生きている。これは、どうしようもない。誰かに夢があるように、誰かにはやりたいことがある。人は自分の目の前にいなくても、生活を送っている。忙しいのは、辛いのは、自分だけだと思うのようなら、それは身勝手だ。誰かと比べ、相対的に自分の多忙さ・せわしなさを語っても仕方がない。痛みを感じる痛覚がみな同じ度合いで設定されていないように、心身のゆとりのなさも相対的には量れない。
タイトルの「7月の雨なら」には、季節的に冷たい雨でもないので心まで凍ることもないだろう、といった意味合い。また、真夏に向かう季節の雨ということで、それに自分を重ね、自分の中に“熱”を再び呼び起こせるかもしれないという意味合い。この2点が含まれているように私は考える。だが、この作品は、“7月の雨なら/一人歩き出せるかも”と、あくまで、推量であり、決して、強い意志があるわけではない。ある人にとって、自分は過去の存在になったとしても、自分にとって現在の存在ならば、たやすく切り捨てることが出来ようか。
「7月の雨なら」