やれ、みなさん、3月ももう終わりですよ。3月が終わるということがどういう意味か知っていますか。それは4月に入るということです。4月に入るということは日本式には新年度を迎えるということでありまして、思えば3年前の僕は文字通り期待に胸を膨らまして日吉に引っ越してきたわけです。ずいぶん遠くまで来たものだなあ、なんて感傷に浸っている暇はない。この3年間の是非を問うている場合ではない。来週はフランス語の宿題とテスト、グループ・プレゼンテーションが大挙して押し寄せてくるのであって、加えて日本に帰る日まであと一か月強しかない。決して君は3年間の余韻に浸っている暇はないのだと誰か喝を入れてくれ。喝を。
先日、フランス語の授業に遅刻した。運の悪いことにその日から「授業に15分以上遅れたものは、みんなの前で歌を歌わなければならない」という非情なる見せしめが施行されることになっており、「さすが公開処刑の国フランス!」と感心していたら、僕自身が遅刻することになった。笑っている場合ではない。僕もバカではないので、携帯電話の時計で12時13分に到着し、どうだ15分にはなってないだろうと余裕の表情で教師に「ボンジュ〜ル」などとかましながら教室に入ったら、パンジャンヌ曰く「私の時計はもう12時20分だ」とかぬかす。いいや違うね、君の時計と教室の時計が進んでいるだけだ、僕の時計こそが真実だと主張すると、自由と博愛の国だけあり民主主義的に採決されることになった。「誰か12時15分以前を示す時計を持っている人いますか?」と問いかけると、「ノー!」と申し合わせたようにすべての生徒が答える。くそう、シンガポール人のくせに意外に空気読みやがるな。俺に歌を歌わせて授業の余興にしようって魂胆だな。と気付いたのもむなしく、あえなく僕の主張は却下された。
ああ、いいさ。そっちがその気ならこっちにも考えがある。こちとてだてに空気を世界一大事にする日本人を21年間やってはおらん。歌えと言われたからには堂々と歌ってやろうじゃないか、そして授業の空気をぞんぶんに暖めてやろうではないか。もはや僕は高校生と時のようなシャイ・ボーイではない。
覚悟を固め、授業の最後、クラス一下手な発音でフランス語の曲を一曲歌い終えると、大きな喝さいを浴びた。一度も言葉を交わしたことのない女の子にも「グッド・ジョブ!」とねぎらいの言葉をかけてもらったりと、僕のクラス内好感度は大いに上がった(と思う)。人生何が好機で何が好機じゃないかっていうのは一見わからないなと心の底から思った。この前最近何かと話題の森見登美彦の「四畳半神話体系」を読んだのだけれど、占いばあさんが述べてることは真理だなとつくづく噛みしめた。ピンチをチャンスに変えるのは己の心持次第である、と心に刻む。
話は変わり先週末、僕を含む慶応からの留学生3人が集い、現地の女の子2人も交えてご飯を食べに行った。僕はこちらでほとんど1日3食自炊生活をしているので(一学期に言っていたことと全く違うな)、僕にとっては久しぶりの外食だった。僕らはスチームボートという日本でいうしゃぶしゃぶみたいな鍋を食べ、その後ちょっと気取った店で水タバコをぷかぷか吸った。もしかしたらご存じかも知れないが以前の僕は強固な嫌煙主義者であったのだが、時の流れとはかくも不思議なもので、近頃はわりと平気になった。なぜならシンガポールは室内全面禁煙という過激な法律がある上に一箱7・800円するので、ほとんどだれもタバコを吸う人がいない。だから受動喫煙の危険性がなくてタバコに対するネガティブなイメージがだいぶなくなったわけだ。匂いが付いて困るような服装もしてないしね。おそらく日本に帰ったらまた嫌いになるかもしれないが、今現在は時たまもらいタバコをしたりする身である。ちなみに水タバコはニコチンとかがきつくないので、ほぼ遊びみたいなもの。シンガポールに来たらぜひ試してみると面白いですよ。
と言った感じの夜を過ごしたのだけれど、翌日から全身に発疹が現れる異常事態が発せした。同居人の方によるとローカルのスチームボートを食べておなかを壊す人が結構いるとのことなので、これはおそらく東南アジアのおそろしさを今もって知ることになったのかと思った。例えばタイで生水を飲んでおなかを壊したとかよく聞く話だけれど、そんなのは所詮体が弱いシティ・ボーイの戯言であり、幼い時分寒風吹きまわる荒野を半そで・短パンで駆け回りここ5年間風邪をひいたことのない僕にとっては露ほども関係のないことだと大いに高をくくっていた。「もしやそんな慢心が報いを受けたのかも知れん。これこそが東南アジアのアビスだったのか」と戦々恐々とする僕を差し置いて、それ以後も発疹は順調にテリトリーを拡大し、僕の精神状態にまで大いなる悪影響を及ぼすにいたった。
これはまずいと思い、先日皮膚科を訪ねた。日本病院の背の高く聡明そうな美人の先生は僕の体に出ているおぞましく赤いぶつぶつたちを丹念に眺めて上で、最近急に筋トレなどを始めたかと物静かに尋ねた。
「はあ、筋トレはやってますけど、かれこれ3カ月ぐらいはやっているので、急というわけでもないですけど。運動は他にもジョギングと水泳を」
「これはアレルギーではなさそうなんですね。急に体を鍛え出したりするとこういうことになるケースがあるんですが、けっこう筋トレしてるんですか?」
「いや、筋トレはあんまりしてないですね。むしろジョギングの方が多いです」
「なるほど」
「最近は距離が延びてきたんで、15キロ前後走ります」
「そんなに(笑)」
ということで、あえなく運動を禁止され、抗生物質と副腎皮質ホルモン(ステロイド)を処方された。なんたって驚いたのは、運動することで病気になることがあるという事実である。都会に住む僕らは運動することは健康に良いと絶対的に信じている節があるけれど、時には運動することで体を悪くすることもあるのである。原因がわかった嬉しさよりも、その意外な真実に僕はあっけにとられた。過ぎたるは及ばざるがごとし。運動は皆さんほどほどにしましょう。
それにしても運動を禁止されると、本当にやることがない。汗もあまり掻かない方が良いので、日中歩きまわることさえ控えなくてはならん。プールも泳げないし、日光浴もできん。しょうがないのでここ数日は本ばかり読んで口癖のように「走りたいなあ」と呟いているのだが、事実走らないとストレスが日を越えて蓄積されていくような気持になる。走らないと酒は飲んではいけないという自分ルールもあるので、大好きなタイガービールも飲めないし、これはちょっとしんどいですよ。ほんとに。
風の噂によると、卒業式があったらしいです。先輩方、遅ればせながら卒業おめでとうございます。4月から働くというのは僕の想像力を超えた問題なので、うまくコメントできません。ただ願わくば、皆さんの就職先が愉快な職場であるように!