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    <title>短期集中コラム　ヒットプロデューサー亀田誠治のヒットの理由～亀の恩返し～</title>
    <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/</link>
    <language>ja</language>

    <pubDate>Thu, 05 Oct 2006 00:39:18 +0900</pubDate>  
    <description><![CDATA[ヒットプロデューサーであり、東京事変のベーシストとしても活躍する亀田誠治氏が、制作現場で起きる問題点や出来事を、鋭くも温かな視点で分析する、短期集中連載コラム。]]></description>
    
        <item>
      <title>体験！携帯ダウンロードミュージック(後編）圧縮音源の昔と今(最終回)</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/11/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 05 Oct 2006 00:39:18 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/11/0</guid>  
      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%;">
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">CDにはCD用のマスタリング、配信には配信用のマスタリングを</span></span>
<br><br>
　前回、「携帯電話ダウンロードミュージック」を初体験した亀田ですが、今回はその続編。「ダウンロードミュージックの浸透が、我々の制作現場にどのような影響をもたらしているか？」という命題に体当たりレポートデス。<br>
　ご存知の通りダウンロードミュージックはMP3に代表される「圧縮」されたファイルが音源となっています。一体どれくらいのダウンサイジングが行われているかというと、CDクオリティーのAIFFやWAVといった「非圧縮ファイル＝44.1khz／16bit」に比べて、約10分の1、もしくはそれ以下のサイズに圧縮されています。例えばCDをパソコンでリッピングしてMP3化したものと聴き比べると、その音質の差は歴然！圧縮したものは、どうしても音が「ごちゃごちゃした感じ」「遠い感じ」に聴こえてしまいます。特にアーティストは“耳の良い”人が多いから、「配信音源の音質に馴染めない！」なんて配信アレルギーを起こしてしまいがち…。<br>
　でも、大丈夫！この音質の格差は、配信用のマスタリングを施すことによってほとんど気にならないレベルに留めることが可能になっています。例えばU2やシェリル・クロウ、アヴリル・ラヴィーン、ブラック・アイド・ピーズといった、洋楽の大物アーティスト達は、配信用音源には圧縮を前提としたマスタリングを行っているので、CDで聴くものとダウンロードで聴くものの音質の差は殆ど感じられません。中には、配信音源のプレゼンス（存在感）がCD音源のそれを凌ぐほどの作品も出てきています。これらのアーティストがナウなヤングにウケる秘密は意外とこんなところにあるのかも知れません。<br>
　というわけで現状では、CDにはCD用のマスタリングを、配信には配信用のマスタリングの両方を行うのがベストチョイスと思われます。ちなみに僕のプロダクツは、「できることならば配信用のマスタリングもさせてください」というお話をさせてもらっています。これは制作費との兼ね合いもあるので、根気よく毎回「ご相談」という形で実践しています。
<br><br>

<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">アーティストの息づかいを直接感じるヘッドフォン世代</span></span><br><br>
　この「マスタリング大作戦」は言い換えると、マスタリングという最終行程で理想の音に“追っつける”わけですから、あくまでも対症療法に過ぎません。しかし考えてもみてください。25年前にCDが登場したときも「CDはアナログ盤に比べて“温かみにかける”とか “音がイタい”などと盛んに議論されたものです。それを何年もかけて改良に改良を重ねてここまできたわけですから、2006年の我々も諦めてはいけません。今こそ「良くなることを前提」に技術と感覚の両方を磨き上げ、ソフトとハードの双方向の改良をもってして「理想の音」を実現していくべきなのではないでしょうか？<br>
　一方で、iPodの普及や携帯電話の音楽プレイヤー化に伴って、多くのリスナーがヘッドフォン（イヤフォン）で音楽を聴いているという事実を見逃してはいけません。これは言い換えれば、アーティストとリスナーの間に“密室の一対一の関係”が生まれているということです。通勤途中で聴くお気に入りの音楽。そんな時、視覚（目）から入ってくる情報は、車窓に映る疲れた自分の顔、世知辛い情報に溢れた吊り広告etc…。そう、誰もが孤独を噛み締めているものです。だからこそ、耳から飛び込んでくるヘッドフォンの中では「あなたに出会えてよかった」よりも「あなたに出会えて、生きる意味が見つかった」まで言ってほしいもの。つまりこれからの作品には、今まで以上に歌詞のパーソナル性とリアリティーが要求されるということです。<br>
　また、ヘッドフォンジェネレーションは今までとは違った回路で音楽を感じています。ラジカセやコンポのスピーカーから「空気を伝わって聴く」音楽ではなく、骨伝導と鼓膜から「振動を感じる」音楽へのシフトが生まれているのです。その結果「緻密で繊細なアレンジの妙よりも、一発のキックの重みの方に威力がある」なんていう職人泣かせの“音の下克上”が日々勃発しているのです。<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">僕らは今まで通り「いい音」と「いい演奏」をレコーディングするだけ</span></span><br><br>
　日々のレコーディングスタジオの実作業において、「配信を前提」にできることは“何も無い”というのが現状です。ラジカセ、イヤフォン、カーステレオ…、ミックスダウンの時にあらゆるソースで周到にバランスをチェックしても、リスナーがお好みのEQをiPodにかましていたらゲームセット！<br>
　というわけで、僕らは今まで通り「いい音」と「いい演奏」をレコーディングするだけです。ボーカルの息づかい、ピアノのペダルを踏む音、ギターの弦の擦れる音…、スタジオでは隅々まで聴こえるこれらの音を、電車の中、雑踏の中で周囲のノイズにかき消されること無く再生するのは大変困難なことです。だからといって切り捨てることのできない音楽の真実。<br>
　いつの日か、完璧（に近い）な圧縮方法が開発されて、完璧（に近い）ヘッドフォンが生き生きとした音を再生してくれる日が来ることを夢みて、今日もスタジオで悪戦苦闘の亀田君です。</span></span><a name="more"></a>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>体験！携帯ダウンロードミュージック（前編）</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/10/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 28 Sep 2006 16:11:42 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/10/0</guid>  
      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%;">
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">この夏、“携帯電話で音楽を聴く生活”を体験</span></span>
<br><br>
　『オリジナルコンフィデンス』誌（オリコン発行）の8月7日号に「06上半期ヒット・チャート徹底比較“デジタルとパッケージの相関は見い出せるか”」という特集がありました。データから読み解いた結論を言っちゃうと「市場規模としてはまだCDが主流、しかしこの一年でダウンロードが急速に伸びている」これが現状デス。でもこれってスッゲェ“あらすじ”だぜ…。ポイントはこの状況をどう受け止めて、我々の作品作りに生かすか？ということです。<br>
　確かにダウンロードしたお気に入りの楽曲を着メロに使っている人はたくさんいますね。でも読者の皆さんの中には「携帯電話からヘッドフォンを通して聴く」というリスニング環境をイメージできない人が多いのではないかな。もちろん僕も未体験ゾーンです。こんなにも頻繁に「CDかダウンロードか？」の論議を重ねている僕ら作り手が、ユーザーの音楽環境をデータでしか判断していないって何だかおかしくない？ というわけで、食わず嫌いはいけません。亀田はこの夏、“携帯電話で音楽を聴く生活”を試してみました。<br>
　試してみたのは「レコ直」のサイト。僕が毎週見ているオリコンのチャートとは若干の隔たりがあるようです。チャート上でゲットしたいアーティスト＆曲名をクリック。今回は、音質のチェックも兼ねて自分のワークスの中から、スピッツの「魔法のコトバ」を選んでみました。<br>
　次に、聴きたいコンテンツの内容「着うた／着うたフル／着ムービー」などを選択。いろいろあるのねー。う～ん…ここは奮発して着うた（\105）と着うたフル（\315）の両方をダウンロード。<br>
「着うた」の「魔法のコトバ」は44秒バージョン。これは１番サビで始まって、２番のAメロに入ったところでF.O.されます。「え？これだけしか聴いてもらえないの？」と、作り手としてはちょっとビミョーな気持ち。これは、まさに「試聴機」の感覚ですね。一方「着うたフル」ならフルコーラス聴けるので、携帯をプレーヤーとして使うのならば、僕なら「着うたフル」にする。ところで、「携帯で見るPVはいかに？」と思い、今度はBONNIE PINKの「A Perfect Sky」を同じ要領でダウンロード。こちらは15秒で（\210）なり。<br><br>

<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">現代人のアイデンティティー欲をしっかりと満たす携帯端末</span></span><br><br>
　僕の携帯は画面が大きいのがウリなんだけど、PVを楽しむにはさすがに小さく、また画像も正直粗いです。15秒というサイズと相まって、こちらはTVスポットを見ている感覚です。試聴機＆TVスポット…はは～ん、こうやって考えると、「携帯端末ダウンロードミュージックは、アルバムを売るためのワンコイン投入型プロモーションツールである」という図式がほんのり見えてきますね。<br>
　また、カタログ選びを上位ランキングから入っていくシステムは、「流行りもの好き」のユーザーには便利かも。でも、掘り下げて枝葉まで入っていくような音楽ツウの貴兄は違和感を覚えるでしょう。そして、結果生まれてくるのが勝ち組と負け組の断層です。これでは売れているものを中心に繰り広げられるカーストからますます逃れられなくなりそうです。<br>
　肝心の音質ですが、携帯にヘッドフォン直結で聴いている限りはフツーに楽しめます。だって呑みの席で、写メールの写真を「画像が粗い」からといって撮らない人はいないでしょう？それと同じ原理。お気に入りを瞬間でゲットできる“スピード性”、手軽に持ち運べる“ポータブル性”、はてまた、お気に入りを第三者にアピールできる“アクセサリー性”。携帯端末の持つこの三つの特性が、現代人のアイデンティティー欲をしっかりと満たしてくれるんですね。<br>
　次回は、ダウンロードミュージックの浸透が、我々の制作現場にどのような影響をもたらしているかをつぶさにレポート。では！
</span></span><a name="more"></a>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>English or Japanese？にわかに市民権を得る英語詞</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/9/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 21 Sep 2006 12:35:25 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/9/0</guid>  
      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%;">
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">ヒットするのに日本語詞はもういらないの？</span></span>
<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">亀八先生</span></span> 「Def TechにBENNIE K、ELLEGARDEN、MONKEY MAJIK…、いいかぁ、みんなぁ～！これらのヒット曲に共通することは何だぁ？」<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#ff0000;">オリ子</span></span> 「先生、なんだか英語だらけで、どっちがタイトルでどっちがアーティスト名なのか、チンプンカンプンです！」<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">亀八先生</span></span> 「ふむふむ、そういう気持ちもよくわかる。先生も昔、スピッツの「ロビンソン」をロビンソンの「スピッツ」と言って彼女にドン引きされたことがある。じゃ、これに例えば昨年大ヒットしたO-ZONE の「恋のマイアヒ」が入ったら？」<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#ff0000;">オリ子</span></span> 「わ、わかった！ 歌っている人が外人さんです！」<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">亀八先生</span></span> 「惜しい！ BENNIE Kは英語ペラペラの帰国子女だ。ELLEGARDENにいたっては全員日本人だし千葉県人だぞ～！」<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#ff0000;">オリ子</span></span> 「う～ん???」
<br><br>
　固まってしまったオリ子ちゃんに代わってお答えします。この３曲に共通するのは歌詞の大半に日本語ではなく英語が使われている点です。ましてや「恋のマイアヒ」にいたっては全編モルドバ語でした。では、ヒットするのに日本語はいらないの？<br>
 　いえいえ、決してそんなことはありません。これらの曲には非常に厳選された英語が使われていて、そんじょそこらの日本語詞よりも、聴き手にしっかりイメージ＆メッセージが届くように作られています。また、これらの曲のタイトルに使われる英語のキーワードは大変キャッチーでスタイリッシュでしょ
<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">英語詞パートは「カラダで感じられる」作りに</span></span><br><br>
　そういえば90年代のJ-POPでは「Hello, Again～昔からある場所～」（My Little Lover）や「バンザイ～好きでよかった～」（ウルフルズ）など、サブタイトルをつけて、タイトルにプラスαのイメージをトッピングする手法が流行りました。しかし、イマドキの英語タイトルはこのサブタイトルの部分までラクラク網羅しています。ユーザーは、もはやサブタイトルやタイアップ云々のトッピングアイテムで「ご親切に」イメージを押し付けられるのが「うざったく」なっているのですね。それよりも、イメージはユーザーの感覚に「お任せ」してアソビを持たせておくくらいが丁度よいのです。<br>
　また、これらの英語詞パートは、オケだけでもメロディアスで「カラダで感じられる」作りになっています。たとえ歌詞が理解できなくても、メロディやグルーヴ、コード感といった音楽的な要素で十分キャッチーな楽曲として成立しているのです。我々は作り手として、日々の現場で「メロディ」と「歌詞」の両方に過剰な期待と完成度を要求します。でも、ひとたびそれが「作品」として街に飛び立った瞬間からはユーザーの気分次第。「歌詞がいいから」「サウンドがいいから」「イケメンだから」…好きになる理由は千差万別。これらは英語詞だからヒットしたのではなく、ユーザーが無意識に「いいね！」ってカラダで感じる音楽的ツボを押さえているからなんですね。
こういった英語詞は堪能なネイティブ発音で歌われています。ここが今までのJ-POPが奮闘してきた「日本語を英語ノリで歌う」歴史を根本的に塗り替えています。ましてや、英語詞の洪水から一瞬のスキをついて割り込んでくる日本語詞には核弾頭的な威力があるのです。アタックとスピード感のある「記号のような」英語詞から我々が無意識に認識できる日本語詞にスイッチされた瞬間に聴き手の感動と興奮のメーターは振り切れます。<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">日本語詞＝アナログのよさ、英語詞＝デジタルのよさ</span></span><br><br>
　一方で、ストレートでまっすぐな日本語のメッセージと、日本語の本来の響きを大切にした作品もしっかりユーザーに受け入れられています。そういった作品に共通するのはアーティストの日常を切り取ったまっすぐなメッセージです。彼らが大声で歌うのは、「過剰な親切」とは別次元の、僕たちが生きていく上で「シラフじゃ言えない、恥ずかしいくらいの本音」の部分です。彼らはそれを細やかな心情＆情景描写を交えて、しっかり代弁してくれているのです。それを瞬時に聴き手に理解させるには日本語詞の方が有利です。なぜなら日本語詞ではドット数とかビット数では割り切れない行間を含めた「ぼんやり」したイメージの伝達が可能だからです。聴き手の心の階層の深いところまでメッセージが届くのです。<br>
　こう考えると、日本語詞＝アナログのよさ（ぼんやり）、英語詞＝デジタルのよさ（くっきり）の図式が見えてきます。デジタル文化が急速に進む中で英語詞の曲が市民権を得るのも、逆に日本語詞の曲に立ち返りたくなるのも、自然なことなのかも。English or Japa-nese？この延長線上にこれからの名曲誕生のヒントがあるのかもしれません。</span></span><a name="more"></a>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>もっと刺激を～豪華競演にクリエイティブな新境地の開拓…進化するコラボ</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/8/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 14 Sep 2006 16:56:49 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/8/0</guid>  
      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%">
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">ジャンルを越えた異種格闘はマーケティングの臨界点を塗り替える</span></span><br><br>
　コラボブームです。昨年で言えば、GLAY×EXILEやCrystal Kay×CHEMISTRY、ある意味ミリオンヒットの修二と彰もそう。しかもこのコラボブームは日本だけではないようで…。マライア・キャリーはネリーやトゥイスタをゲストラッパーに迎え見事復活～ サンタナはミシェル・ブランチやスティーブン・タイラーをゲストボーカルに迎え自分は余裕でお馴染みの“官能のサンタナ節”を弾き倒しています。
<br>　異なるバックグラウンドを持つアーティストがコラボることで得られるハイブリッド効果としては、つまるところファンが２倍～ 売上も２倍～ ベテランは若手と組むことで、ユーザーのジェネレーションを入れ替えることも可能。ジャンルを越えた異種格闘はマーケティングの臨界点を塗り替えることにも成功…、こう考えるとコラボって “いいことずくめ”なのですね。
ところで、いつ頃からこのブームは始まったのでしょう？
<br>　遡ること80年代中期、コラボブームの仕掛人は間違いなくストリート発信のヒップホッパー達です。サンプリングという手段が音楽をボーダレスに変えたのです。そこにはジャンルやカテゴリーという垣根は存在しません。そして、このストリート発のエネルギーをミュージックビデオというメディアが世界中に配信したのです。PVはコラボの証を音だけでなく映像で具体的にアピールできます。RUN DMCが「ウォーク・ディス・ウェイ」（86）でエアロスミスを音源とPVでフィーチャリングした、あの衝撃から20年、コラボの形は無限大に広がったのです。
<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">音楽の構造改革を果たしたコラボ</span></span><br><br>
　じゃあカメダ的には、「どんなジャケットがお好み？」って話。06年上半期の僕が選ぶJ-POPの代表的なコラボに、スチャダラパーと小沢健二の「今夜はブギーバック」（94）がありますね。この曲を境にJ-POPでもコラボ症候群が急増。当時のコラボは「同じ匂いのするアーティスト」が作品の上で“競演”するスタイルが主流でした。アーティストが何をやりたいのか？そして、それをとりまく“シーンの元気度”が明確に伝わってくるコラボ。ところが最近はちょっと意味合いに変化が。冒頭に挙げたアーティストに代表される『豪華アーティスト、夢の競演』形式が増えています。海の向こうのメアリー・J・ブライジ＆U2の「one」にいたっては、かたやR&Bの女王、かたやグラミー5冠のロックの王者、この豪華な組み合わせだけでも、ユーザーの財布の紐は緩みそう。もちろんこの“豪華競演”の垂れ幕には「勝ち組マスト」というローリスク・ハイリターンのビジネスドリームが大きく込められているという事実は否定できません。
<br>　一方、HIPなアーティストのクリエイティブなモチベーションから発信されるコラボはとっても素敵です。例えばHOTEI vs RIP SLYME「BATTLE FUNKASTIC」は、布袋寅泰の「BATT LE WITHOUT HONOR OR HUM ANITY」（※）とRIPの「FUNKASTIC」を合体させて１作品に仕上げています。この組み合わせの意外性以上に、J-POP史上例を見ないクリエイティブな新境地をメジャーシーンに投げた意味は大きい。これなんぞは自由と博愛のHIP HOP精神を立派に受け継いだ見事なコラボのカタチです。
<br>　また、以前カメダが見たm-floの武道館公演。LISA、BoA、Sowel…、次から次へとフィーチャリングの歌姫達が登場して素晴らしかった。でも、それ以上にブッたまげたのは、優秀なトラックメイカーとMCさえいれば、ボーカリストが不在のユニットでも武道館を感動と興奮のるつぼと化すことができるということ。コラボ万歳～ これは音楽の構造改革です。
<br>　いつからかチャートを賑わす「コラボマーク」もバラエティーに富んできました。伝統的な「feat.○○」が、昨年あたりから「×」にシフト。個人的には、m-floの専売特許「m-flo(&hearts;○○」や“道場破り”の対決感を醸し出す「vs」表記も大好き。コラボユニットの名前は「誰とどんな風にコラボっているか」を視覚的にアピールする重要なキャッチなんですね。
<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">最大の魅力はアーティスト同士の「繋がっている」感</span></span><br><br>
　さてここらで話を元に戻しましょう。ユーザーにとってコラボの最大の魅力はアーティスト同士の「繋がっている」感です。お約束でも、意外性でもいい、「お気に入りのアーティストが、クールな仲間と音楽で繋がる」…ユーザーにとってこんな素敵なプレゼントはありません。それにしても、いつから我々はこんなにも「繋がっていたい」と思うようになったのでしょう？ 携帯、メール…誰もが今、「繋がってる」感が欲しくてたまらない。今年開催のWBC（WORLD BASEBALL CLASSIC）もそう。豪華選手の“繋がり”を謳ってスポーツをイベント化している。このように、数年前までは「特別」だった“豪華競演”が、今では「特別」ではなくなっているのですね。猫も杓子もコラボる時代。もっと刺激を～もっと、もっと～！この先にはいったい何が待ち構えているのでしょう!?
<br><br>
＊ 映画『キル・ビル』テーマ
<br><br></span></span><a name="more"></a>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>デジタル時代のジャケット・デザイン</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/7/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 07 Sep 2006 16:42:14 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/7/0</guid>  
      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%">
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">CDの“広告塔”の役目を果たすジャケット</span></span><br><br>
　CDショップで平積みされているCDを見かけて、「あ、○○の新譜が出た！」なんて思わず試聴したり、買っちゃったりしたことってありませんか？「NO MUSIC、NO LIFE」を高らかに謳う自称“音楽好き”の貴女貴兄なら、「思わずジャケ買いしたら、全然つまんなくてさぁ～」なんて自慢なのか、自虐なのかわかんない音楽談義に花を咲かせたこともあるでしょう？ ま、いずれにせよCDを手にする瞬間、“ユーザー”と“作品”を繋いでくれるのは、このCDの表紙（ジャケット）です。まさにジャケットは身を以てCDの“広告塔”の役目を果たしているのです。<br>
　また、ジャケットは広告塔以上に“作品の顔”とも言えるでしょう。そのジャケットだけで「○○のアルバムだ！」なんて判らせたらしめたもの。確かに大物アーティストのジャケットは、印象に残るものが多いと言えそう。これは、彼らが“売れている”（＝絶対流通数が多い）がゆえに印象に残るのか？それとも“デザイン自体が優れている”から印象に残るのか？その判断は「ニワトリが先かタマゴが先か…」微妙なところです。<br>
　でも、印象に残るジャケットワークの多くが、いにしえの洋楽のジャケットをヒントに作られているということを見逃すわけにはいきません。デザイン的にはブルーノートやビートルズまわりは今でもバック・トゥ・ザ・オリジンの定番だし、アンディー・ウォーホルや、ロンドンパンクムーブメント、ソウルトレインあたりのディスコ調も何度もリバイバルされているようです。何よりも、これらのムーブメントは“時代を象徴した出来事”なので、“時代を越えても”説得力がある。オリジナルを知らない世代にも、そのデザインの根っこにあるメッセージ＆思想が分かりやすく伝わるのですね。<br>
　また、R&BやHIP HOP系のジャケットでは洋楽のトレンドを“まんま”引っ張ってくる例が定番です。プチエミネム、プチビヨンセ・・・。ほーら、たくさんいるでしょ。でもこれらの“プチ○○”作戦も、音楽が時代の先端でファッションとリンクしているという意味では威力があるのです。だって、ネットで＜Billboard Top200＞を見てご覧。本家本元のUSAだって、あらゆるチャートでこのような“プチ○○”が繁殖しています。<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">06年上半期のJ-POPのベストジャケットは、ゆずの「リボン」</span></span><br><br>
　じゃあカメダ的には、「どんなジャケットがお好み？」って話。06年上半期の僕が選ぶJ-POPのベストジャケットは、ゆずの<a href="http://www.oricon.co.jp/music/release/d/634558/1/">『リボン』</a>というアルバムです。<br>
　このアルバムはいわゆるデジパック使用で、紙の材質もツルツル！ぶっちゃけお金かかってます。しかし、そんなことよりもこのジャケット、「リボン」というアルバムタイトルをキーワードに、ジャケット→ブックレット→CD盤といった、パッケージを構成する全てのアイテムが「リボン」＝「結ぶ」というイメージで繋がっています。そうなんです。良いジャケットには作品とリンクしたメッセージ＆哲学がある。即ちパッケージ全体にアーティストのメッセージがしっかりと込められているということです。<br>
　ところで、ネットとジャケットの関係について少し考えてみましょう。最近ではネット上でアルバムを買う事ができるようになりました。アマゾンなどで“１クリック”でアルバムを購入する人も多いでしょう。ジャケットは数センチ四方に縮小され、PCのディスプレイという究極の二次元世界でも、“作品の顔”としての責務を果たさなければならないのです。ということは「縮小されたサイズの中でどれだけの情報量を伝えることができるのか」がこれからのジャケットワークに課せられた大きな使命と言えそうです。<br>
　昨年iTMSがオープンして以来、僕はダウンロードでも積極的にアルバムを買っています。最近ではジャケットやPVのみならず“デジタルブックレット”なるものも登場し、なかなかの充実ぶり。たとえば、先日手に入れたネリー・ファータドのアルバム『ルース』は、ブックレットから曲に飛べたり、ディスコグラフィーやバイオグラフィーが開けたり、Webともリンクしていて便利で楽しい。これで歌詞さえ付いてくれば（もちろんネット上でも著作権が発生）もはや配信でも、従来のブックレット以上の情報量をゲットできるようになります。まだまだ少数派の“配信”ミュージックですが、「配信って味気ないでしょ、やっぱアルバムはCD買わなきゃね！」という通説を覆す勢いです。少なくとも僕たち作り手は、今までのやり方の上に胡座をかいていると危ない！<br>
　いつの時代も音楽と絵は切り離せない関係。お金をかけられる時は前人未到のクオリティーアップを、お金がなくても知恵を絞って、ユーザーの「聴きたい！」のツボを刺激するジャケットを作りたいものです。そしてそれが時代を越えて愛されれば至福なり。自戒の意味も込めて…では！
<br>
<br>
<a name="more"></a></span>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>亀田流オリジナリティの判断基準</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/6/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 31 Aug 2006 11:11:47 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/6/0</guid>  
      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%">
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">オリジナリティを形成する「声」「曲」「顔」</span></span><br><br>
　オーディションの時、我々プロはどんなところを見ているのでしょう？ 例えば一昨々年、映画『BEAT KIDS』では、塩屋俊監督は映画監督の目線から、亀田は音楽プロデューサーの目線から、それぞれの判断基準で出演者を厳選していきました。01年の『ASAYAN』では、笹路正徳さん、島野聡さん、久保こーじさんと僕の4人のプロデューサーが、それぞれのブレイク哲学をもとに歌姫を選出。このように目的や審査員のキャラによっても、判断基準（＝ふるいのかけ方）は変わります。そんなわけでここに紹介する判断基準は、あくまでも“亀田誠治”が審査する場合のお話です。<br>
　ズバリ言いましょう！僕の場合は「声」「曲」「顔」この3点しか見ていません。なぜならば、これこそがアーティストのオリジナリティを形成する3大要素だからです。<br>
　その中でも一番重要視するのは「声」。何千人もの応募者の中から、唯一無二の歌声の持ち主に出会えた時は、嬉しくて天にも昇る気持ちになります。宅録技術が進んだ昨今、「歌の上手さ」はアマチュア機材でも機械的にフォローできてしまいます。でもこの「声」の部分は、どんなに頑張っても作り出すことのできないものなのです。<br>
　その次が「曲」。オリジナリティのある曲が書けるアーティストは金の卵です。「インパクトのある曲」を書く個性派パターンと「懐かしさを感じる曲」を書く王道パターン、このどちらかを満たしていないと、リリースやキャンペーンに追われるアーティスト活動に耐え得るスタミナが持続できません。そして「いい曲が書ける」＝「セルフプロデュース能力がある」ということ。たとえ「声」がピカイチではなくても「将来的には名プロデューサーになるかもしれない」、「チャンスがあれば他のアーティストに曲を書かせてみようかな」、と思わずチェックしちゃいます。<br>
　最後が「顔」。「タレントのオーディションじゃあるまいし顔なんて関係ないじゃん」なんて言うことなかれ。アーティストは「伝えて」なんぼ。リアルに生きて、リアルにメッセージを発信するアーティストは、等身大の素晴らしい表情をしているもの。演出やオトナの入れ知恵では作り出せない “素”のパフォーマンスにこそリアリティが息づいています。そこから新しい時代の“求心力”が生まれるのです。<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">アーティストは作品が全て。作品に対する全責任は自分に</span></span><br><br>
　「結局亀田サンはボーカリストのことしか見ていないの？」なんて指摘されそうだけど、そんなことはないです。例えば、そのリズム隊にしか出せないグルーヴのあるバンドなんて絶対“買い”だし、作曲やアレンジのキーマンを見抜く事も大切。地味でも堅実な“プレイヤー気質”の若者だって大切な人材です。思い起こせば、僕自身がアマチュア時代から究極の裏方。曲書いて、アレンジして、デモ作って、応募要項に記入してテープを送って…、全部僕がやっていたのに、デビューしたのはボーカルの子だけ。「“亀山”君も、アソビにくれば？」なんてディレクターに言われて、ほんと悔しかった！だから裏方の気持ちはスゴくわかるんだ。でも、あの頃、必死にデモを作り、何度も何度も悔しい思いをしたことが、今の仕事に十分活かされているのです。<br>
　審査員をしていて一番困るのが、「何かワンポイントアドバイスを！」みたいな即席コメントを求められちゃうこと。オーディションはワークショップじゃないっつーの。基本的に僕は、自分が手がけているアーティスト以外にアドバイスは致しません。だって僕のひと言で、無責任に若い才能の未来を左右するなんて許されないもの。だからどうしても「諦めるな」「思い切りやれ」みたいな体育会系のアドバイスになっちゃうんです。でもね、「締め切りギリギリだったので音質がちょっと」とか「風邪引いちゃっていてノドの調子が…」みたいな“言い訳”するやつはメッタ切りにするよ～。アーティストは作品が全て。「カンペキ！オレ最高！」って自分が思っていないものを人に伝えちゃダメ。たとえ調子の悪い時にも全力のパフォーマンスで聴く人に何かを残す。それが真の才能なのです。
<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">オーディションのグランプリはゴールではなくスタートライン</span></span><br><br>

　オーディションの難儀なところは、「グランプリ＝最優秀者」を決めなければならないところ。皆で選んだ最大公約数のアーティストが、商業的に成功するとは限りません。長く愛され、第一線で活躍するアーティストが必ずしもグランプリ受賞者ではない、という矛盾はここから生まれます。<br>
　最後に、グランプリはゴールではなく、あくまでもスタートラインです。その先の“のびしろ”は不断の努力と、運（引きの強さ）にかかっています。しかも“のびしろ”は育てる人の愛情があって初めて伸びるもの。「こいつを絶対売ってやる！」という、スタッフの愛情の深さはどんな賞よりも有効であることは言うまでもありません。
<br><br>
<a name="more"></a></span>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>「音楽と音楽ビジネスを心から愛す」～僕が影響を受けたプロデューサー達</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/5/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 24 Aug 2006 11:13:17 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%"><span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">ポジティブ精神の塊のようなクインシー・ジョーンズ</span></span><br><br>
　まず初めに、少年時代の僕が生粋のヒットチャートマニアであったことをご報告せねばなりません。週末は、湯川れい子さんの『全米TOP40』（ラジオ関東）とケーシー・ケイサムの『AMERICAN TOP40』（FEN）でチャートをチェキるのが僕のおつとめ…。そのチャートをもとに、FM亀田（※1）で「FM亀田オリジナルチャート」を作成！平日はウルフマン・ジャック、チャーリー・ツナ、メアリー・ターナー（ともにFEN）でR＆Bやロックのクラシックスをお勉強。お小遣いが貯まれば、新宿の輸入レコード店へ…、というわけで、僕が一番影響された「音楽」は、チャートに登場するヒット曲なのかも。まずは時代を彩ったヒット曲に感謝！<br>
　じゃ、影響を受けた「プロデューサー」は誰？って話。クインシー・ジョーンズは横綱だなぁ。『クインシー・ジョーンズ自叙伝』（河出書房新社刊）は僕のバイブルです。彼は、その生い立ち～貧困と人種差別～という逆境を全てプラスに転換させた、ポジティブ精神の塊のような人。ミュージシャン、アレンジャーとしての非凡な才能と＜USA for AFRICA＞（「We Are The World」）でみせたオーガナイズ力。全米が彼のひと声で動き、その作品が世界に羽ばたいていく。今でこそ、チャートの中心はブラックミュージックですが、その地位とクオリティーが飛躍的に向上したのは彼の力があってこそ。彼が実践し貫いた「クリエイティブとビジネスは共存できる」という哲学は、今も僕の心に息づいています。<br>
　そしてもう一人はデビッド・フォスター。彼のスゴさは、シカゴ、ホール＆オーツ、アース・ウインド＆ファイアーといった大スターを、時代にフィットした新しい音に“バージョンアップ”させたこと。ホイットニー・ヒューストンが映画『ボディガード』で歌った大バラード「エンダぁ～～～～」も彼のプロデュース。世知辛いシーンにアーティストが揉まれる度に、守りに入らず、「生まれ変わる」道を選ぶ。その「攻め」のプロデュースワークに、僕はスタジオでの「タフな精神力」を教わりました。以前、彼が「どんなに細心の注意を払ってもヒット作を作ることは難しい…。僕は1日15時間、音楽に没頭する生活を15年間続けてきただけだ…」と言っていました。勇気の湧く言葉です！
<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">共通するのは「音楽と音楽ビジネスを心から愛している」こと</span></span><br>
<br>
　ドン・ウォズも大好き。彼には「曲」を大切にする精神を教わりました。グラミーを勝ち取ったボニー・レイットのアルバム『ニック・オブ・タイム』を作るに際して、500曲（！）の中から選曲したんですって。また、『リズム・カントリー＆ブルース』（※2）で見せる彼のプロデュースワークから、ルーツミュージックへの愛情と深いリスペクトが、素晴らしい音楽を生むことを教わりました。溜池の東芝3st.のミキシング・コンソールには、ドンが走り書きしたサインが残っています。そのサインにこっそり手を当て、明日の自分を夢見るのが僕のヒミツの儀式です。<br>
　ジャム＆ルイスは、音楽的に一番影響をうけたプロデューサーかもしれません。その洗練されたコードワークが大好き！R&Bを洗練されたポップスの領域に持ち上げたのは、間違いなく彼ら。Jジャクソンというホームグラウンドを20年にも亘って大切にしている姿勢も素敵です。そんな彼らとは3年前に、『オリジナルコンフィデンス』誌のインタビュー（03.10/13号）でお会いすることができました。音楽への愛情、成功への真摯な姿勢…、ジェントルなお二人の温かくて分厚い手の感触が未だに忘れられません。<br>
　日本人のプロデューサーでは、小林武史さんのプロデュース作品からたくさんの勇気を頂きました。また、昨年、今年と「ap bank fes」でご一緒して、音楽プロデューサーの枠に止まらず、これからの人類が向き合うべき環境問題に正面から向き合うその姿勢に大変感銘を受けました。松尾潔さんも、いつも僕に刺激を与えてくれます。とにかくネットワークが広く、フットワークが軽い。J-POPと洋楽の両方に精通し、幅広いブレーンでジャンルや世代を超えて、J-POPの品質向上に日夜尽力するプロデューススタイルは松尾さん独自のもの。
駆け出しの頃の僕は、武部聡志さんから「譜面は前もって書く」「遅刻しない」「言い訳しない」等、プロとしての姿勢を吸収させて頂きました。当時、武部プロデュース、亀田アレンジで幾つか仕事をしましたが、打合せでは「亀ちゃん、バッチリにしておいて！」それだけ…。でも、そのバッチリを追究した先に、今の僕があるのです。感謝！感謝！<br>
　まだまだ、紹介したい人はたくさんいるけれど、今日はこれまで。ここで挙げた皆さんに共通するのは「音楽と音楽ビジネスを心から愛している」ということ。やっぱ、愛がなくちゃね！<br>
<br>
※１：「FM亀田」は、亀田少年が自室で選曲、DJ、リスナーの一人三役をこなしたプライベートFMです。<br>
<br>
※２：ドン企画のコンピアルバム。ヴィンス・ギルとグラディス・ナイトのデュエットといった、アメリカのルーツミュージックであるカントリーとR&Bがクロスオーバーする瞬間。ドキュメントビデオが最高！<br>
<br><a name="more"></a></span>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>いただきま～す。「パクリ」――この甘くて危険な響き</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/4/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 17 Aug 2006 17:06:39 +0900</pubDate>
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      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%"><span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">「パクリ＝NG、でも、リスペクト＝OK」の線引きって？</span></span><br><br>
【シーン：日差しの燦々と降り注ぐスタジオのロビー。バンドのリーダーのM君が何やら相談があるらしく、近づいてくる――】<br>
M（非常に気を遣いながら…）「カメダサン、このイントロ…、あの、ちょっと、なんか、オリジナルコンタの△△って曲にそっくり…。ビミョーにコードだけでも変えてもらえませんか？」<br>
亀「あれ、そう？このコード進行は西海岸系のギターバンドの定番リフなんだけど！教科書にも載ってるよ※1」<br>
M「そうですよね…。でも、オリジナルコンタは今一番キてるバンドだから、このリフを俺たちがやっちゃうとヤバイというか、パクリって言われるのシャクだし…」<br>
亀「（ギター片手に）オッケー。じゃあさ、2個目と3個目のコード入れ替えて…、こういうのはどう？」<br>
M「これなら大丈夫！さすが～」<br>
亀「このリフも教科書に載ってるよ。レインボーの「since you been gone」と同じになっちゃった。でもテンポは全然違うし、ま、いいっか！リッチー・ブラックモア万歳！これもある意味リスペクト&hearts;」<br>
<br>
　みなさんの現場でも、このような会話が繰り広げられることってありませんか？「パクリ」――この甘くて危険な響き。僕たちは、いつもこの問題と向き合いながら音楽を作っています。<br>
　今から15年前、僕が駆け出しの頃、アレンジの主流は「目指せ！洋楽」。打ち合わせ場所に何枚もの洋楽のCDを持ち寄り、「この曲のアレンジはこれでいこう！」くらいのマルパク（丸ごとパクること）は当たり前。「☆☆先生は、いち早く洋楽をパクって研究熱心なんだ。カメちゃんもさ、片っ端から洋楽聴いてもっとネタ仕入れておいてよ」なんてよく言われたものです。<br>
　時代が変わって、HIP HOPが市民権を得て、サンプリングミュージックが「当たり前」になった90年代後半あたりから、いつの間にかパクリという言葉自体が死語に。そう、すべてが“リスペクト”という有難いお言葉に書き換えられていったのです。たまにネットを覗くと、「☆☆の新曲はパクリだ！これでいいのか？」といったパクリ論争が激しく交わされているのを目にすることがあります。「パクリ＝NG、でも、リスペクト＝OK」みたいな。いったいこの線引きってどこですればいいんだろ？<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">「いただいちゃった」カケラの使い方に、アーティストのセンスが問われる</span></span><br>
<br>
①先輩作品のDNAのチカラが働いて、“たまたま”似ちゃったケース<br>
　これはまさにM君と僕のケース。結果的に僕らのパクリネタになってしまったオリジナルコンタも、このDNAで彼らのルーツに繋がっていたことが容易に想像できます。音楽のDNAが繋がり、諸先輩方のグッドなヴァイブを引き継いで、結果的に同じ匂いになるのは極めて健全なこと。長年のDNAの繋がりがあってこその新しさかもしれません。でも、M君の言い分も十分に理解できます。その作品が世に出た時に、M君に恥ずかしい思いをさせるわけにはいきません。プロデューサーなり第三者が、「おや？何かに似すぎている」と思った時にスマートに解決法を見つけてあげればいいのです。<br>
<br>
②意図的に“いただいちゃった”ケース<br>
　おそらく、これが問題なんだろーな。でもね、サンプリングミュージック誕生以前にも、様々なカケラを再構築したカッコイイ音楽ってたくさんありますよね。昔からクレバーなアーティストは必ずこの手法にトライしていたよ。つまりこの場合 “意図的”の“意図”にアイデンティティとクリエイティビティが存在するわけ。カケラを引用している以外はれっきとしたオリジナル作品。それを弾劾裁判して表現の幅を狭めてしまうこと自体イケてなくない？<br>
<br>
　そもそも「産みの苦しみ」は様々なカタチで我々を襲います。サンプリングネタで自己表現することも、立派な産みの苦しみです。これは、禅問答のような苦しみを経て、天から降ってきたものだけをカタチにするのと並列に語られるべき話です。そもそも、“無”から“有”は生まれないんだな。結局、ものを創るということは①のケースに当てはまっちゃうことになるんですね！<br>
　むしろ、“たまたま”もしくは“意図的”にしろ「いただいちゃった」カケラの使い方に、そのアーティストのセンスが問われます。例えば、数年前のカニエ・ウェストの「through the fire」の早回しのトラックは、オリジナルにプラスαの新境地を感じさせる素晴らしいものでした。「オケを早回しにしたらケロケロになる」というアイディアが特許級※2なのです。<br>
　サンプリングは明快です。HIP HOPにロックンロールのハンコを押してあげることも、80’sのハンコを押してあげることもできます。アーティストも楽し、リスナーも楽し、そこには鋭い時代の声が聴こえてくる。バック・トゥ・ザ・オリジネートする楽しみも増えるしね！ <br>
　あ、それから“いただいちゃう”場合のエチケットとして、“権利（＝著作権）”だけは絶対クリアしなきゃダメよ！特に洋楽はオーソライズするのに、恐ろしく時間がかかります。2、3ヶ月は当たり前！ギリギリで進めていると間に合わないよ。<br>
　では、また次回！<br>
<br>
※１：もちろん、僕たちに教科書はありません。定番中の定番の手法ということです。<br>
<br>
※２：でも、そのあと同じ手法をやるアーティストが続出しましたね。これはいただけません。ちょっと軽いんです。「ローマは一日にしてならず」DNAをもっと自分の中で育まなくちゃ。
<br><a name="more"></a></span>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>「正常進化」をテーマにブラッシュアップ</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/3/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 10 Aug 2006 10:57:06 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/3/0</guid>  
      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%"><span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">今年の“ap bank fes”は昨年の“正常進化”で</span></span><br><br>
　みなさんコンニチハ！僕は7/15～17の3日間、“ap bank fes '06”に昨年に引き続きBank Bandのベーシストとして参加してきました。今回の「亀の恩返し」は、その様子をお伝えします。<br>
　「今年の“ap bank fes ”は昨年の“正常進化”でいきたい」という小林武史さんの号令のもと、我々は4月からミーティングを開始。“正常進化”と一言で言うけれど、これが簡単なようで難しい。大成功に終わった昨年の“ap bank fes '05”…、これを“正常進化”させるためには、1年目で成し遂げた成果を、2年目の今年は更にブラッシュアップしなければならないということ。というわけで、我々は昨年できなかったこと、今年やりたいことを徹底的に話し合いました。<br>
　たとえば、今年はバンドアクトとしてレミオロメン、HY、くるりという素晴らしいアーティスト達が参加してくれました。確かに昨年の「Bank Bandというハウスバンドがソロアーティストをサポートする」というやり方では、バンド系アーティストのこのフェスへの参加が難しかった。でも、今年はオープニングにこのバンドアクトの枠を新たに設けることによって、参加したい全てのアーティストに門戸を開くことができたのです。勘のいい読者の皆さんならもうお気づきですね。そう、この“門戸開放”の思想は「興味のある人すべてウエルカム！まずは、できることからやってみよう！」という “環境問題”の入口と綺麗に繋がっているんです。<br>
　また、「ハウスバンドという枠を越えて“Bank Band流”のサウンドを確立したい」という小林さんの考えを具現化するために、今年からパーカッションとトランペットが加わりました。お陰でアレンジの幅が広がった！どんなジャンルにもグルーヴィーで華やかな“Bank Band流”サウンドで対応できるようになりました。さて、その中身のほうは…。<br>
<br>
■7月15日<br>
　コブクロは「桜」をBank Band流サウンドに乗って熱唱。路上時代にミスチルのカバーをやりまくっていたそうな。BoAはプロ中のプロです。一切のブレのないパフォーマンスが彼女の実力を証明していました。昨年に引き続き登場のポルノグラフィティは、あげあげパフォーマンスの名人。ポップとはなんぞやということを本能的に分かっている最高のユニットだ。体調を崩され急遽出演できなくなってしまった忌野清志郎さんのレパートリーは我らが若大将、櫻井和寿が全力で歌い切りました。名曲「雨上がりの夜空に」はレミオロメンの藤巻亮太も飛び入りで参加。清志郎さんに届け！<br>
■7月16日<br>
　昨年に引き続き登場のスキマスイッチは、突如降り出した大雨さえも味方につけて櫻井君と「シーソーゲーム」でジャンプ！そしてBENNIE K。彼女達のラブ＆ピースなメッセージはこのフェスにぴったり！小田和正さんは１曲目の「ラブ・ストーリーは突然に」でいきなり客席に飛び込んで湧かせる湧かせる。最高のパフォーマンスを披露してくれました。ASKAさんはこのap bank fesの思想まで考えた見事な選曲で、孤高の世界を表現してくれました。<br>
■７月17日<br>
　BONNIE PINKは野外フェス映えのするアーティストだ。つま恋にこだまする彼女の歌声が僕の脳裏でフラッシュバック。きっとウッドストックってこんな感じだったんじゃないかなって直感的に思ったよ。KREVAはBank Bandのレアグルーヴに抜群のラップを乗っけて“聴かせる”＆“乗せる”の緩急が絶妙なり。今井美樹さんはBank Bandサウンドに乗って気持ち良さそうに唄っていました。彼女のナチュラルさがこのフェスと絶妙にレゾナンスしていました。そしてラストを飾ったのは桑田佳祐さん。「イノセントワールド」で自転車に乗って登場し、最後に「奇跡の地球」を櫻井君と熱唱。この「奇跡の地球」に込められている「地球を想う」メッセージが、20世紀の終わりから10年の歳月を経てap bank fes '06に繋がっていることに大きな意味があるのだ。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">全てが吹っ切れた櫻井君のひと言</span></span><br><br>
　さて、個人的には“2回目の気負い”が辛かった。去年と同じことをやっていては我々のクリエイター魂が許さねえ！ というわけで、「このフェスをもっとよくしたい！」の一心が「これでいいのか？」「ちゃんと環境問題に取り組めているか？（のこと考えられているか？）」など“自分ダメ出し”に苛まれる日々。それを救ってくれたのがリハーサルの最終日に櫻井君がかけてくれた「去年あんだけやったんだから、それでいいじゃないですか。今年は今年でできることを楽しくやりましょうよ」のひと言。これで全てが吹っ切れた。そして僕は、そんな櫻井君が人一倍頑張っているのを知っている。嗚呼！なんて素晴らしい仲間、なんて素晴らしいフェスなんだろう！そして何より、この「良くなっていくことを前提に、今ある問題点を改善する」というポジティブ・シンキングこそが、“環境問題”と取り組む姿勢にしっかり繋がっているのではないでしょうか？ 日々勉強、まだまだ若葉マークの亀田誠治です。<br>
<br>
ap bank fes '06<br>
7/15～7/17  ＠つま恋<br>
今年は出演アーティストも増え、3日間で演奏した曲数はのべ70曲！<br>
<br><a name="more"></a></span>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>相性がいいライブとインターネット。でも、“生”の迫力はまた別物</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/2/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Thu, 03 Aug 2006 16:44:08 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/2/0</guid>  
      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%"><span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">ライブ、それは「非日常的な時間＝束の間のパラダイス」</span></span><br><br>
　みなさんこんにちは！今回はイマドキの「ライブ」について考えてみましょう。CD、パソコン、携帯電話、TV…、音楽に触れ合うツールが以前にも増して多様化した今、人々がライブ＆コンサートに求めるものは昔と変わってきているのでしょうか？<br>
　そもそも、なぜ人はコンサートに行くのでしょう？ライブ中、ステージ上からお客さんの表情を見ていると、笑顔の人、泣いている人、ノリノリの人、ラブラブのカップル…、皆それぞれの想いでその空間を共有しているのがわかります。これは誰もが「非日常的な時間＝束の間のパラダイス」を求めている証拠です。僕の場合、例えば、昨年サマソニで来日したベテランバンドLa’sが今年の春に大阪・心斎橋クアトロで行ったライブを、15時の「のぞみ」に飛び乗って大阪まで観に行っちゃいました。たった1時間のステージ。でも“生”「There She Goes」に涙！ライブが生活の素敵なアクセントになる一例ですね。<br>
　イベントやフェスは、小さなライブの集合体です。非日常的空間という意味では、野外フェスには自然と一体化する開放感があるし、密室のクラブイベントは浮き世の憂さ晴らしに最高です。また複数の大物アーティストが競演することで、戦争、環境問題、難民救済といった社会問題に若者の意識を向けさせ、その収益を社会に還元することも可能です。<br>
　アーティストにとってイベントやフェスは、限られた時間の中で自分達の力量を試される「ブレイク道場」ともいえます。昨夏の代々木体育館、J-WAVEのイベントでの、レミオロメンのパワーは凄かった。 錚々たるメンツの中で、トップバッターのプレッシャーをはねのけ、アリーナの空気を全部持っていった彼らに亀田誠治は完全KO。その後はご存知の通り「粉雪」で大ブレイク。このようにアーティストの成長過程が一目瞭然なのも、ライブの醍醐味ですね！また、ミスチルやゆず、ウルフルズ、スピッツといったベテラン組のライブもハズせません。ヒット曲のあるアーティストはホント強い。「自分は何年も愛される楽曲を作っているか？」なんて演奏中に“自分探しの旅”が始まっちゃったりして…。<br>
　会場の大きさに関係なく、照明、映像、アレンジ、演奏、選曲、音の善し悪し、MCの内容、といった演出に関しては、どうやら僕は瞬間的にプロの耳＆目で“感じて”いるようです。でも、どんなに大仕掛けの演出を施しても、そこに“アーティストの素顔”が見えないと、印象の薄いものになります。そもそもライブ会場に足を運ぶ人は “生もの”を見に来ているのです。完全無欠もいいけれど、ハプニングで演奏が止まったり、感極まって思わず泣いてしまったり、そんな人間味あふれる素の部分が見えるライブが好きです。<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">「なんでもパッケージ主義」はアーティストを消耗させる</span></span><br><br>
　ところで皆さん、「なぜアーティストはライブツアーをやるのか？」こんなことを考えてみたことがありますか。今やメジャー、インディーズを問わず“アルバムの集大成をツアーで表現する”のが鉄則です。しかも、ここ数年ビッグアーティストのライブDVDは “マスト制作アイテム”に。本来ならば“一夜限り”の刹那的なライブパフォーマンスが、何度も反復して見聴きされる “パッケージ”になってしまったのです。確かに、ライブという一つのアクションから幾つもの“副産物”を生むことは“効率”がよろしい。しかしこの「なんでもパッケージ主義」は、アーティストを消耗させ、スタッフの達成感を麻痺させます。ルーティン＆スケジュールをこなす事に日々の精力を注がなければならないからです。ひいてはこれが“アーティスト短命化”の一因になっている気がしてなりません。 <br>
　デジタルとライブの相性もどんどん良くなっています。デジタルコンテンツが充実したこの頃では、リアルタイムでストリーミング配信される限定ライブもチラホラ行われています。つい最近までは「音楽配信によってCDの売上が下がった」なんて、声も聞こえていましたが、結局“瞬間性”のライブと一番相性がいいのは“即効性”のインターネットなのかもしれません。それでも“生”の迫力はまた別物。それを味わいたければライブ会場へ行こう！そんな共生の感覚が必要ですね。<br>
　現場での技術革新も猛スピードで進んでいます。デジタルコンソールによる音像の再現性は、会場による音のバラツキを最小限に止めることができます。小さくなったPAシステムは、オーディエンスの幅広い視野を確保、もう「師匠のベースがスピーカーに隠れて見えな～い！」なんてこともありません。照明もプログラミングによって可能性は無限大。繊細なアートの域に到達しているのです。
<br><a name="more"></a></span>]]></description>
      <author>kameda</author>
          </item>
        <item>
      <title>レコーディングで陥りがちな“エディット地獄”</title>
      <link>http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/1/0</link>
      <category>（カテゴリなし）</category>
      <pubDate>Fri, 28 Jul 2006 14:00:17 +0900</pubDate>
      <guid isPermaLink="false">http://blog.oricon.co.jp/kameda_column/archive/1/0</guid>  
      <description><![CDATA[<span style="font-size: 125%;"><span style="line-height:160%"><span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">この10年で日本人の歌のスキルは大幅にアップ</span></span><br><br>
　この頃のアーティストは、ホント歌が上手になりました。音程が良くてリズム感もバツグン！ でも、なんだかどれも同じように聴こえると思わない！?<br>　ひと昔前までは、ふらふら調子っぱずれの“へたっぴぃな歌”があったものです。でも、その可憐なルックスとキャッチーな楽曲に日本中が夢中！…みたいな。そう、それはその人が歌うことに意味がある歌。かつて、お茶の間ではＴＶを前に「この子音痴だね～」なんて言われていたのに、今でもカラオケの定番として愛されているナンバーって結構あるよね。
<br>　ところが、この10年で日本人の歌は変わりました。何を食べて、何を聴けばこんなに歌が上手になるの？もしや「音倫」みたいな検閲機関があって、秘密裏に “音痴狩り”でも行われているのではないか？歌だけは、からきしダメ（音痴／鼻声／持久力ナシ）な僕はそんな気持ちにすらさせられます。それくらい音痴な歌は、この世から抹殺されました。いったい全体この10年で、歌のスキルは本当に上達したのでしょうか？確かに、R＆Bの歌姫達～洋楽を聴いて育った世代～が登場した99年頃を境に、日本人の歌唱力は大幅にアップしたように見受けられます。でも、ホントにそれだけ！？それよりも、ちょうどその時期に台頭し、急速に普及したハードディスクレコーディングと、この「上手い歌」とは無関係ではなさそうです<span style="font-size: 75%;"><span style="color:#cc0033;">（※1）</span></span>。<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">デジタルレコーディングは「完璧なテイク」を実現</span>　</span><br><br>

　この頃、レコーディング時間の大半は、ポストプロダクションに費やされています。その名も「エディット地獄」。僕はそう呼んでいます。直せるんだ少々のことは…。音程の修正、リズムの修正。デジタルレコーディングは、我々にとっての永遠の夢である「完璧なテイク」をいとも簡単に手に入れることを可能にさせました。音程もリズムもカッチリとエディットされた歌。特に洋楽でこの傾向は顕著で、現在アメリカではこの音程の修正は「エコーをつけるくらいの感覚」で当たり前に行われているようです。アメリカ人の発想は合理的です。昔だったらミックスの時にエコーをつけて<span style="font-size: 75%;"><span style="color:#cc0033;">（※2）</span></span>ごまかしていた「音程の曖昧さ」を、今は波形に線を引いて、ボタンをクリック！<br>
　その結果、巷で耳にするのは音程の良い「上手な歌」ばかり。だから作り手にとっても「歌った歌」よりも「直された歌」がスタンダードになっちゃって、音程がちょっとでもずれていると「ダメな歌」に聴こえてしまうんです。馬子にも衣装、可愛い我が子に赤っ恥をかかせたくないというその一心で、睡眠時間と引き換えに日夜エディットにいそしんでいるのです。<br>
　みんな言うんですよ。「音程が全てじゃない！」「ニュアンスこそ命！」なんてね。でもそんなことを言う人に限って、音程で歌を聴いている。その証拠に僕のレコーディングで「OKテイク聴いてくださ～い！」っていうと、むむっ、誰もが「音程の気になるところ」にチェックを入れるぜ！<br>
　でもね、音程やリズムのダメ出しは誰にだってできるのです。それよりもそのテイクの「いいとこ」を見抜くことが大切です。結果それは聴き手の魂を揺さぶる「強い歌」になる。とはいえ、自分の中に「いい歌」の経験値がないとその「いいとこどり」はできません。ましてや、普段からSo, soな歌ばかり聴いて、それを「直す」のが当たり前になっているから、もう悪循環。しかも最近は So, soなエディットも急増中。「やるんだったら、プロとしてエディットの極みを見せてやれーぃ！」巷に溢れるエディットバレバレの歌を聴くたびに、ハラハラドキドキしているのは僕だけでしょうか？<br><br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#336699;">時間を割くべきはポストプロダクションよりもプリプロダクション</span></span><br><br>

　このコラムを僕はパソコンで打っています。以前は手書きで原稿用紙を使っていました。でも今はなんの疑いも無くパソコン。だって便利だもん。 いつでも直せるし、編集部にも“添付”してポンっ、…そう、ここに真実あり。<br>
　クリエイターの皆さん！「直し」を前提に作業を進めていませんか？「少々のことは後で直そう…」とエディット任せにしていませんか？アーティストがレコーディング前に「練習をする」「コトバを噛み砕く」という時間を、おろそかにしていませんか？<br>
　今こそ「エディット地獄」のポストプロダクションよりも、「クリエイト天国」のプリプロダクションに時間を割くべきです。結果スタジオ効率も上がり予算も削減できるはず。我々は夢を売る商売です。ディズニーの映画で「あ、ここエディットしたな」なんてところ1ヶ所も無いでしょ！？せめて「直し」のプロセスが見えるような作品を世に出してしまうのはやめときましょうよ！</span></span><br>
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<span style="color:#cc0033;">※1</span>:なんと…実際この時期を境に洋楽でも「上手い歌」が急繁殖！<br><br>
<span style="color:#cc0033;">※2</span>:昔から、エコー（リバーブ）をつけて、音程の甘さをごまかすという手法がありました。素人さん相手のカラオケマシーンが、いつもエコーギンギンなのは、エコーの残響のおかげで、ピッチの細かいところがゴマけて、唄が上手く聴こえる（気がする）からです。
<br><a name="more"></a>]]></description>
      <author>kameda</author>
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