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2010年02月26日

No.537 嗚咽 その6 より

122 :大人の名無しさん :04/06/17 09:22 ID:e05t8O+t

お節介な友人の話。
もうガキじゃないんだから、事あるごとに一々電話してこないでいいです。
ちゃんとメシ食ってるか? あぁ、昔と違ってちゃんと自炊してるから心配しないでいいです。
だらけてないか? うっとおしい誰かのおかげで直りましたよ。
仕事上手く言ってるか? 泣きそうになりながら何とかやってます。 
嫁を迎えた? うっせぇばかやろう、あたしゃどーせまだですよおめでとう。
友人代表でスピーチしてくれ? あんた、自分に散々迷惑をかけた俺にそれを頼みますか? さてはお前友達少ないだろう。
スピーチしたら何を泣いてますか? おかげでこっちも泣いちゃったじゃないですか。

なぁ友人、お前がいなきゃ多分俺は冗談抜きでアル中か体がボロボロになっていた。
血は繋がってないが、家族以外で唯一俺に嘘をつかないと信じられるお前は、どっかで何かと繋がっているんだろう。
恩返しする前にくたばるんじゃねえぞコノヤロウ。



262 :k :04/06/28 16:51 ID:fRn4gpA4

去年の10月に母親が血を吐いて倒れた。
十二指腸に穴が空いたそうだ。
手術後極度の貧血状態になり意識がなくなった。
医者からは覚悟したほうがいいと言われた。
俺は耐えられなくなり見守る兄弟を残して家に帰ってしまった。
病院にいるだけで涙が止まらなくなる。
俺がいたっていなくたって死ぬ時は死ぬんだと思った。

幸い母は意識を取り戻し3週間の入院で退院できることになった。
しばらくして見舞いに行くと俺は母にこう言って笑った。
「あんたも悪運がつよいなあ。死ぬかと思ったよ」
母は
「お母さんも死ぬかとおもったよ。
 先生やみんなが呼び掛ける声はきこえるんだけど、
 ふあーっと頭の中が真っ白になってね。もうどうでもよくなるんよ。
 痛くもなんともなくて気持ちがすごく楽になって、
 死ぬってことも分からないくらいよ」

そのあと俺に
「ごめんね、あれから何ヶ月もたってないのに
 病院来たくなかったでしょ。もうお見舞いもこなくていいよ。」
と言った。

「そんな事ないよ、又くるよ」と言うと
「お母さん思うけど○○ちゃん(俺の嫁さん)は
 いっぱい頑張ったけどね、
 うまく言えないけど最後の亡くなる時は、
 痛くなかったよ。全然痛くなかったはずよ。」
と言って泣きだした。
その日の夜俺は声を出して子供みたいに泣いた。



908 :大人の名無しさん :04/09/07 20:20 ID:u7UDhJp9

兄貴よ。
子どもの頃からあんたは優しかった。
俺がいじめられるとすぐに飛んで来て助けてくれたよな。
俺はあんたみたいになりたくて空手を始めたんだ。
今ではあんたより強くなったつもりだし、あんたも組手をする度笑いながら『◯◯には勝てないよ』って言ってくれたよな。

じゃあ、なんであの雨の日。
突っ込んできたスクーターから俺を庇った?
俺の方が強いんだろ?
料理人になって親父の店を継ぐんだろ?
それが夢なんだろ?
なんでいつも笑ってんだよ?
どうやって包丁持つんだ?
肘から下が無くなった、その右手で。



271 :大人の名無しさん :04/06/29 13:24 ID:Hw40v12a

恋愛関係のことでボロボロになっていた時期があった。
もう私なんかどうでもいい、どうにでもなれ、と自暴自棄になって
余計に荒れた生活をしていた。これで死ぬならそれでいいや、って。

そんなある日、友人の車で遊びに出かけた帰りのルートで
祖父母の家の近くを通ることに気付いた。
もう1年半ほど祖父母には会っていない。
距離的には100kmも離れていないのに、田舎に遊びに行くような気持ちの余裕もなかった。

ふと祖父母に会って行こうかな、と思った。本当に軽い思い付き。
友人に少し回り道をしてもらい、ちょっと待っててね、と家に入った。
祖父母はびっくりして、でも満面の笑顔で迎えてくれた。
「よう来てくれたなぁ」「よう来た、よう来た」
そして、「時間あるんか、ちょっと待っときや」と帰りを急ぐ私に
きゅうりやトマトや白菜を持ちきれないくらいたくさんたくさん包んでくれた。
「また来てなぁ、待っとるでな」

帰りの車の中で友人とトマトをかじった。
私、一体何してるんだろう…。
涙が溢れてきてたまらなかった。

おばあちゃん、おじいちゃん、ありがとう。
今度の休み、会いに行くね。元気で待っててください。



596 :1/3 :04/07/29 04:21 ID:eCoBJSET

一年前の今頃、妹が突然電話をかけてきた。家を出てからあまり交流がなかったので少し驚いた。
「病院に行って検査をしたら、家族を呼べって言われたから来て。両親には内緒で」
嫌な話だということは簡単に想像できた。
妹は胃癌だった。初期の段階だが、すぐ手術をしなければいけないということだった。
「お父さんとお母さんに言ったら、びっくりすると思うからお兄ちゃんを呼んだ。迷惑かけてゴメン」
親父は二ヶ月前に胃潰瘍を患っている。
お袋は神経が細かいので、こういった話には耐えられないだろう。
だから妹は俺を呼んだのだと言う。

妹は少し優秀なプログラマーで、手術の費用などは心配するなと笑っていた。
高額医療保障制度もあるし、大丈夫。
でも、お父さんとお母さんにだけは内緒にしておいて。
手術が終わったら言うから。
迷惑かけてゴメンね。
迷惑かけてゴメンね、と、何回も繰り返す妹に、俺は「迷惑じゃないよ」としか言えなかった。

医者に話を聞いたら、本当は初期じゃなかった。
だいぶ進行していて既に末期だという。
手術中に死ぬかもしれないとも言われた。
手術しても助からないかもしれないとも言われた。

俺は両親に言ってしまった。

親父は絶句して、お袋は精神的なショックで一時的に左耳が聴こえなくなった。
でも、二人ともすぐに入院した妹に会いに行った。



597 :2/3 :04/07/29 04:21 ID:eCoBJSET

妹が俺を責めた。
「何で言ったの。言わないでって言ったじゃない」
俺は「ゴメン」しか言えなかった。
死ぬかもしれない妹に、とにかく両親を会わせてやりたかった。

でも本当は、妹の死を一人で背負う事が辛かったんだと思う。
俺は弱い卑怯者だと思う。

手術の日、手術室に移される前に、妹が俺に言った。
「迷惑かけてゴメンね」
俺はやっぱり、「迷惑じゃないよ」としか言えなかった。

手術は腹を開いただけだった。
検査で分かっていたが、手術をしても無駄なほど癌が進行していた。

それから二ヵ月後、妹は死んだ。27歳だった。
死ぬまで、俺は毎日病院に通った。仕事の合間にも顔を出した。周囲にはいい兄貴に見えたと思う。
そんなに仲がいい兄妹じゃなかったと思うが、それでも毎日病院に通った。
妹は何度も、「迷惑かけてゴメンね」と謝った。

意識がなくなる二日前、俺に
「お父さんとお母さんに教えたって、責めてゴメンね。
 迷惑かけてゴメンね」
と言った。
俺は「迷惑じゃないよ」としか言えなくて、自分が死にたくなった。



598 :3/3 :04/07/29 04:22 ID:eCoBJSET

もうすぐ妹の命日だが、今でも後悔している事がたくさんある。
もっと気の利いたことを言ってやりたかった。
調べればもっといい病院があったかもしれない。探してやりたかった。
今まで全然甘えなかった妹が最後に俺を頼ったのに、俺は何もしてやれなかった。

27年間、もしやり直せるんだったら、俺はもっと強くていい兄貴になりたい。
でもそれはできない。
立ち直るまでまだもう少し時間がかかりそうだが(一年も経ってまだ立ち直ってないのかと自分でも思うが)、
妹の分までしっかり生きていってやろうと思ってる。
もっと強くていい兄貴になって、天国の妹が自慢に思ってくれるような人間になりたい。

Posted at 13:13 | この記事のURL | コメント(39) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月12日

師走 ・・・夜逃げ・自己破産・差押さえ

28 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/12/20(水) 17:01


3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。
ただ、救われたのは、こいつらの親がきちんと出てきた事だった。






56 名前: 28 投稿日: 2000/12/23(土) 07:11


どうしよう・・・こんなに泣かれるとは・・・。

>55
そうなんだよな。
なんか理不尽な感じがして、自分の最後の理性が足洗う方へ向いたんだよ。
この子ら以外にもあったよ・・・・
最終的に足抜けしたのは・・・また号泣しちまうかもしれんけど・・・・。
じいさんとばあさん夫婦に追い込みかけた時だったんだよ。
ボロっちいアパートに住んでいてさ、俺と兄さんが行ったんだけどさ
孫ぐらいの俺らに土下座して泣いてるんだよ。
「すんません。すんません。」って。
何も食ってなくてフラフラしててさ。
所持金30円だった。
さすがに黙ってられなくて、兄さんに殺されてもいいから俺は助けたくなった。
こいつら見捨てたら、俺本当に無情になってしまう!って思った。
俺も向いてないんだろうけど、その兄さん<子供の話の時もいた。
もこの仕事に向いてなくてさ。
顔が怖いのと、両親がこの世にいないから流れてこっち来た人なんだよ。
「どうするよ。」って、追い込みとかもうどうでも良くなってきて
じいさんとばあさんに飯食わせながら、兄さんと逃がす話してたんだよ。
じいさんは、見るからに人の良さそうな、騙されやすそうな感じで
まあ、案の定騙されたんだけどな。
ばあさんと2人で、八百屋のクズ野菜を貰ってしのいでた生活だったらしい。
働くことも出来ず、年金もわずかだから本当に老いて地獄にいる状態だった。
俺よりも兄さんが同情してて、段取りは全部兄さんがやった。
その為の金も、その後どうするかも全部。
方法は一つ、「夜逃げ」だけ。
兄さんは、2人だけ連れて一緒に消えた。
俺は知らない事になってるから、数日間だけバレないように気を張ってた。
事務所も、じいさんとばあさんだから追跡しなかった。
1ヶ月ぐらいして、俺が足抜けしたのをどっかで聞いたらしく、兄さんから
連絡がきた。
じいさん夫婦は一緒にいた。
一緒に暮らしていた。
俺は、本気で誰かを救った兄さんをすごいって思ったけど、兄さんはじいさんらに
救われたっていってた。
「ばあさんの料理はうめーぞ」っていってた。
実際にこうやって逃がす事もある。
でも、バレたら・・・最悪は海の可能性だってある。
美談でもない。
自己満足で書いたのでもない。
若い奴でヘラヘラしやがって、裁判所に逃げたらどうにかなるって思う奴ら、
そういう奴らからは、遠慮なく頂く。
実際に自殺された事もあった。
でも、死ぬのはいつも騙された奴らばかり。
確信犯で借りる奴らは、上手く立ち回って逃げる。
悔しいな。
どうにも出来ないからそう思うのかもな。
なんか、長くなってすまないね。
読むの疲れてないか?

Posted at 10:23 | この記事のURL | コメント(5) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

育児板・泣いた話

352 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/04/03 19:43 ID:KZ/Eoxv/

私の子供は3才で、今日入園式でした。
私と一緒に行ったのですが、ほとんどの方がお父さんも連れてたんですね。
主人は、子供がうまれる1ヶ月前に事故で亡くなりました。
子供にとってた、父親がいないのが普通だと思ってたのでしょうね。
説明はしてたのですが・・・
入園式が終わって、早速友達が出来たウチの子は、その友達に
「○○ちゃんの、パパは?」とか、
「パパいないんだ〜!」って笑われてて・・・
でもウチの子は
「ママがいるもん。パパいらない!」
って怒りながら言って、私の所に来て「帰る〜」と抱き着いて来ました。
家に帰って、おやつをあげてる時に
「○○(子供の名前呼んで)、今日は偉かったね〜。じっとしてたね〜」
ってほめたら、首を降って
「でも、お友達に怒ったよ。ホントはパパ欲しいんだよ。でもね、ママが悲しむから言わないの〜」
って大声で泣き出してしまいました。

知らないうちに我慢させてたのかって、自分を責めて泣いてしまいました。



360 名前:通りがかりです 投稿日:02/04/04 02:06 ID:AX+qeAXA

昨年の12月に離婚したんです。
最後の方は、もうお互いにけなし合うしかできなくなって。
子供は当時3歳のお姉ちゃんと2歳の弟。
「子供のためにも」と話したけど、その時の妻は聞かなかった。

本当に急に、僕がマンションを出る事になり、
前夜に荷物を片付け。次の日、仕事を休んで運んだ。
その日の朝、最後の保育園への送り。
「ママの言うこと聞いて。仲良くするんだよ」って、ふたりを抱きしめた。
涙がこぼれそうだったけど、我慢したのは、子供ふたりも頑張って我慢してたから。

送った後、荷物を運ぶのにマンションに戻り、部屋に入った瞬間
涙が止まらず、立っていられなくなった。
出る間際に、一緒に写ってる写真と、二人のシャツを持ってきた。
匂いや、感触を忘れたくなかったから。それが一番の宝物になった。

先日、元奥からメールが来て
上の子が「パパとママは結婚式するんだよ。ねーちゃんがドレス買ってあげるから」
って言ってるって。下の子は僕に「アギト」を買ってくれるって。
忘れてないんだと思ったら、激しく泣けた。

偶然、このスレを発見して、硬く閉めてた蓋を開けられちゃった。
子供に会いたい。一緒に寝たいよ。
遅くまではしゃいでも、もう怒らないから。だから一緒に寝たい。

二人とも凄く優しい子なんです。
今夜は久しぶりに、ふたりのシャツを抱いて寝るよ。

泣きながら打ってるから、乱文、スンマセン。

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一番楽しかった「あの日」はなんですか?

84 名前:ぱむ@AirFixation 投稿日:2001/06/09(土) 17:04 ID:???

>>4と似てるんだけど、
高校の時の部活がらみのことは今でも全ていい思い出。
多分、人生で一番楽しかった頃になるんだろうなぁ。

最後の大会遠征、宿舎で最後の夜。
とても仲良しだったうちら3年は、みんなで宿舎の外に出た。
少し歩いて公園みたいなところに行って、しばらくみんなで騒いでた。
ふと会話が止まって、なんだか涙が出てきた。
気づけばみんなも泣いていた。
男子の部長をしてた人が「ありがとうな」とつぶやいた。
空を見上げると満天の星。涙が止まらなくなった。



92 名前:22世紀を目指す名無しさん 投稿日:2001/06/10(日) 00:14 ID:???

引っ越しが近づいた夏。手を繋ぐことすら出来なかったオレの臆病さのせいで、うやむやのまま別れた彼女から「会いたい」との電話。
彼女には既に新しい恋人が居るのは解っていたのに、くだらない期待を抱いて、オレは彼女と会い、友達に教えてもらった夜景のの綺麗な雑居ビルの屋上に忍び込んだ。
言いたいことは色々あるのに、相変わらず臆病なオレは、その後に及んで適当な冗談で誤魔化してた。
そのときちょうど遠くの空に花火が上がった。
それを見ていたら、不思議な位、素直な気持ちになってきて、思っていることがドンドン言葉になって溢れてきた。
どんなに君が好きだったか
どんなに君を抱きしめたかったか
どんなに君が去って辛かったか
どんなに今でも君を好きか
そして、どんなに君を思っても、今ではもう遅いのか
帰り際、すっかり気持ちが楽になったはずみで、オレは友達と練った作戦までバラしてしまう。「あいつがさぁ、ココに呼べば絶対キス出来るなんて言うんだよねぇ」
それを聞いた彼女がささやいた言葉を、オレは聞こえない振りをして出口に向かう。彼女が付いてこないので振り返ると、立ち止まったままオレを見て、またささやいた。

「キスしても...いいよ」

ずっと臆病で、それまで彼女の手も握れなかったオレは、彼女に歩み寄り、抱きしめ、そしてキスをした。
これでもう、完全にお別れだと解っていたけど、不思議と寂しさはなく、とても満たされた優しい気持ちになっていた。
それから程なく引っ越して、彼女とは全く会っていないけど、多分、既にオレの知らない誰かと結婚して幸せな生活を送っていることだろう。

その事を思うとちょっと胸が痛むけど、彼女にもらったモノは、いつまでもオレの心の中に残っていくだろう...って!
2ちゃんでこんなに語るオレって超マジ厨房だな!ギャハハ
みんな思う存分ワラってくれ!!



177 名前:22世紀を目指す名無しさん 投稿日:2001/06/12(火) 01:22 ID:???

中1の時、仲の良い友達4人で富士山に登った。中学生同志で富士山に登るなんて、
今考えたら変な話だが、休み時間に『やっぱ日本一には登らんと』というよくわからん理由で
夏休みに登りにいった。俺を含め3人は普段運動が得意で頭が弱い典型的なスポーツ馬鹿だったが、
あとの一人はどちらかというと運動オンチで体も弱く、俺達はそいつには行くのを辞めるように勧めた。
そいつも『足手まといになるのは嫌だな』と言いながら、ちょっと悲しい顔をした。

その日の夜、そいつの(分かりにくいからイニシャルでS)の母親から電話があって、
『一緒に登らせてやれないかな?』と言われ、俺はちょっと躊躇したが他の2人を説得するのを約束して電話を切った。
次の日の朝、Sは『昨日おかんが変な電話したらしいけど、ゴメンな』と申し訳なさそうな顔で俺に話し掛けてきた。
『ええやん 一緒に登ろうや!』と言うと、『ほんまに?』と満面の笑みで喜んだ。
待望の夏休みになり、4人で富士山の五号目まで行くバスに乗って、富士山を目指した。4人ともやけに興奮していて
しゃべり続けていた。特に普段4人のツッコミ役でボソボソとしかしゃべらないSが一番大きな声でしゃべっていた。

5号目〜6号目〜7号目までは登山とはいえ、まだ緩やかな坂道でS君も息を切らせながらもなんとか登っていたが、
7号目〜8号目になると斜面もきつくなり、みんなでSのペースに合わせながら一緒に登った。
8号目につくと今日の寝床がある。8号目の宿だ。そこで夕飯をとる、といってもレトルトのカレーだったが、
うまいうまいといいながら、みんなでほうばった。飯を食った後、砂まじりの布団に潜り込み、『明日は晴れて
ご来光が見れるとええな!』などとはしゃいでいた。俺はちょっと青白い顔をしていたSが心配になり、『大丈夫か?』
と聞くと、『大丈夫や!』と青白い顔をしてSは答えた。




178 名前:22世紀を目指す名無しさん 投稿日:2001/06/12(火) 01:23 ID:???

S君に起こされ、夜中に宿を出る。夜が明けるまでに頂上にたどりつくためには、夜中に出ないと間に合わない。
9号目に差し掛かったところでSがうずくまって歩けなくなった。どうやら酸欠状態になったらしく、俺は8号目の宿まで
酸素の缶スプレー(名前は知らない)を走って買いに戻った。S君は苦しそうにしていたが、大分マシになり、
再び頂上を目指し始めた。そしてようやく頂上についた。

頂上ではご来光を拝むための人だかりができていて、俺達もそのなかに混ざった。
数分後、空が白みはじめると、雲の中から太陽が姿をあらわした。
『スゴイな』と俺が言うとSは嬉しそうに『うん』と言った。
その時の喜びは今まで生きてきた中でも最高だ。

頂上ではご来光を拝むための人だかりができていて、俺達もそのなかに混ざった。
数分後、空が白みはじめると、雲の中から太陽が姿をあらわした。
『スゴイな』と俺が言うとSは嬉しそうに『うん』と言った。
その時の喜びは今まで生きてきた中でも最高だ。

高校になると、4人ともバラバラになり、Sは親の都合で東京に引っ越した。
でも高校に入ってからも、他の3人とはちょくちょく会い、Sとはたまに電話で近況報告をしたりしていた。
Sはいつも自分の近況報告はせず、富士山の時の思い出話をすることが多かった。
その後、俺は浪人生で受験の真っ只中、Sに連絡することも忘れていた時にSの母親から連絡があった。
『今日息をひきとってな。。。あの子、いつも富士山の時の話ばっかりしてたわ ありがとうな ありがとうな・・・・』
と泣きながら俺に礼を言っていた。俺が『死んだってどういうことですか!? 』というとSの母親は本当のことを話してくれた。




179 名前:22世紀を目指す名無しさん 投稿日:2001/06/12(火) 01:25 ID:ntLjasBA

Sはすでに高1の終わりに、病気で高校に行かなくなり、ずっと家で静養していて、ここ数ヶ月はずっと状態が悪く、
今日息を引き取ったということだった。
電話を切った後、不思議と涙は出なかった。というより、急過ぎてなにが起こったのかわからなかった。
数日立ってから、富士登山の時の写真をみたときに涙があふれてきて、涙が止まらくなった。

Sが『うん』といったあの時の嬉しそうな顔は今でもあの時のまま、俺の記憶に焼き付いている。

長々とゴメン
上でいい話を聞いたので、Sのことを書きたくなって、書いてみたら長くなりすぎた。
文中にも書いてあるけど、スポーツ馬鹿なので許してくれ

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子供の頃、家が貧乏でトラウマとなった人

73 名前:大人の名無しさん 投稿日:2001/07/17(火) 02:49

小学生の頃はそんなに自分の家が貧乏だとは思わなかった。
親が無理して私立の中学校に通わせてくれるようになってから
同級生と違うんだなぁと思うようになった。
いちばんのコンプレックスのタネは「家」。
ウチは商売をしていたけど、その2階に一家6人で住んでいた。
12畳ひと部屋で、タンスや2段ベッドがあって、子供の勉強机が3つ。
妹には机を買ってやれなくて、本棚がひとつ。
部屋の角の半畳分に俺の机があり、カーテンでしきっていた。
ウチのすぐ裏は国鉄の線路。前は国道。
電車と車の騒音、それからテレビを見て笑っている家族の声に悩まされ
勉強どころではなかった。
無理して学校に行かせてもらっているのがわかっていたから
親には文句を言えなくて、悶々としていた。
同級生を家に呼んだこともなく、俺も行ったことがない。
(行ったら今度は呼ばなくてはならないから)
入学早々いきなり勉強につまづいて、
成績がなかなか上がらなかったけど、
まともに勉強できるような環境じゃなかった。

とにかく家がほしい、大人になったら家を買って、
自分ひとりの部屋をもつんだと思っていた。
で、6年前に念願のマイホーム購入。
両親と一緒に住んでいた。
もっと親孝行しようと思っていたのに母が亡くなった。
この家をずいぶん気に入ってくれていたのに。



74 名前:大人の名無しさん 投稿日:2001/07/17(火) 03:25

>>73
お母さん、嬉しかったと思うよ。



262 名前:大人の名無しさん 投稿日:2001/07/23(月) 16:41

あの時の彼女に謝りたい。

オヤジはドカタで飲んだくれ、アパートにも帰ってこない。
母親は姉貴を連れて、愛想尽かして出ていった。

給食費も、教材費もくれなかったから
近くの寺に行って賽銭盗んで都合したな。

遠足行っても弁当無くて、オレの事を好きだって女の子がパンをくれた。
でも意地張って「いらねぇよ!」って、はたいて立ち去った。
残された、泣いていた彼女と転がったパン。
オレは最低なクズだ。

許してくれ。



264 名前:大人の名無しさん 投稿日:2001/07/23(月) 17:11

>>262
きっと彼女はニッコリ笑って許してくれるよ



475 名前:大人の名無しさん 投稿日:2001/08/21(火) 07:38

小学校の頃先生が今度学校でバザーをやるので使わなくなった物
何でもいいから1人1品持って来て下さいと言った。
かーちゃんに相談したら持っていけるようなものは何もなく
しかたなくかーちゃんは綺麗なタオルで雑巾2〜3枚縫ってそれをもって行った。
俺の商品はクラスで一番せこかったが愛があった。

バザーと聞くとかーちゃんの愛を思い出す。


Posted at 10:21 | この記事のURL | コメント(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする