静かな時間がさつき荘の四畳半に流れていた。冬の夜がすべての音を吸い込み、まさにそれはシーンとしていた。工藤さんは右手の人差し指につけた指輪をくるくる回し、外したり、つけたりを繰り返した。オイラは工藤さんのそんな動作をずっと見つめていた。もう、なにも言葉が出てこなかった。
「そろそろ帰らないと」と工藤さんは言った。それは、言葉というよりもちょっとした彼女の決意のようにオイラには聞こえた。よし、決めた! といった感じだ。
きっと、泊まっていくことを勧めたら工藤さんは嫌がらなかったであろう。なんとなく、オイラにはそれがわかった。工藤さんはもっとオイラと話したがっていた。何かを話そうとしていた。彼氏のことで悩んでいるのかもしれない。傷ついているのかもしれない。でも、オイラも十分、工藤さんのことでは傷ついていた。けれども、オイラの傷口は自分ではどこにあるのかさえわからなかった。もしかしたら傷なんてついてなかったかもしれない。工藤さんのことになると、本当に自分ではなにもわからなかったのだ。
工藤さんは大きな瞳でオイラの顔をじっと見た。でも「泊まっていけばいいじゃん」とはオイラにはどうしても言えなかった。もちろん、帰って欲しかったわけではない。ずっと、そばに居てほしかった。でも、朝まで工藤さんと一緒にいるということをイメージすることはできなかった。
正直、恐かった。工藤さんが泊まっていくということは、工藤さんと寝ることになるかもしれない。童貞のオイラにはそれがちょっとした恐怖だった。なにもできない、とオイラは思った。そして、一線を越えてしまうことによって訪れるであろう現実を受け止める勇気がまだオイラにはなかった。
でも、考えてみれば、深夜にオイラの部屋にふたりきりでいるということ自体が既に一線を越えていたのだ。
「うん、そうだね。もうずいぶん遅い」
「はい。帰ります。長いことごめんなさい」と工藤さんは言って、埃だらけのカーテンを見つめた。カーテンには4年ぶんの埃がこびりつき、煙草のヤニで茶色く変色していた。一体、あのカーテンはいつ、どこで買ったものだろうかとオイラは考えた。でも、まったく思い出せなかった。