国際関係のイベントによく行きます
その中に旅行博と言うのがあります。
2006年、この旅行博に行ったとき
カンボジアブースで見たのが
山中ひとみさんの踊りのイベント案内
知人の山中さんのイベントだから、店にも置いて宣伝しよう!
と、いっぱいもらって帰る。
そして店に置いた後日
セタリンとポンナレットさんの友達と言う
外国人(仮称ビアラオ・笑)が尋ねてくる
店が移転して数ヶ月、そういった方の来店が多い頃。
ビアラオさん、ふとチラシを見て
「自分の写真が使われている〜!!」
と怒っている。
でもこの写真古いよ〜???
聞けば戦争前にカンボジアに居て
そのとき、たまたま来た舞踊団を撮ったものとか
あらそういえば、彼がセタリンにくれた写真が店にもあった。
山中さんの連絡先は、チラシにある
ビアラオさん、さっそく連絡したらしい
「なんで勝手に使うんだ!」と
その後のやり取りを勝手に省略すれば
山 「写っている本人来ます、師匠です」
ビ 「撮った本人です、じゃ再会します」
写っていた被写体の人は、山中さんの師匠
あの時代を生き抜いた、貴重な天女の一人。
生きていたおかげで、日本人の弟子を持ち
その弟子(山中さん)のおかげで来日となる。
■そしてその時 2006年09月30日 日野
私が行ったときは、出演する山中さんが音あわせ中。
やがて人も来はじめ、ポンナレットさん、ビアラオさんがそろう
そして山中さんと師匠の舞踊が始まる
踊りを見るビアラオさん
あの時の踊り子は、踊り子として
時を越えて、再度カメラマンの前に光臨。
すべてが終わったとき、山中さんから
今回のエピソードが語られる。
ポンナレットさんが通訳して、意思疎通がはじまる。
もう答えはわかっているのに、ビアラオさんから
師匠に、あの時あの場所にいたことを確認する質問が飛び
回答に「Yes、Yes」とうなづく、そして
「この写真を撮ったのは私です」
と、自己紹介になるその流れ、ドラマのようでした。
そして観客も驚く不思議な話の、周りのエピソードも語られる。
きな臭くなりつつある、当時のカンボジア状況
あの時代の踊りを取り巻く環境
その時から今まで、お互いが過ごした時間。
撮ったビアラオさんは、当時なぜか誰にとがめられることも無く
舞台裏まで入れ、忙しそうに準備していた踊り子達を撮影。
その後の動乱でカンボジアを脱出し、日本へ流れる。
撮られた写真は、人の手を伝って写った本人に渡り
今回の来日イベントで使用され
撮った人がそれを見て、主催者に連絡した。
師匠に、当時の写真を見せるビアラオさん
長髪ヒッピー風で
「なぜとがめられず裏まで入れたんだろう」
「外国人だからかな?」
(未来のサプライズをみすえた、クメールの神のいたずら?)
なんだか面白い時間でした。
写真を見なければ、撮影者が気づくことが無かった来日
一枚の写真のおかげで、時を越えて日本で再開となる。
その後、ここで出あった皆さんは、お互いちょくちょく交流。
写真が取り持つ縁は、時も国も超え
すべては丸い円となって繋がりました。
これがその写真