2008年03月04日

カンボジアの写真3

これはニョニュムに載ったので、知っている人も多いかも。

国際関係のイベントによく行きます
その中に旅行博と言うのがあります。

2006年、この旅行博に行ったとき
カンボジアブースで見たのが
山中ひとみさんの踊りのイベント案内

知人の山中さんのイベントだから、店にも置いて宣伝しよう!
と、いっぱいもらって帰る。

そして店に置いた後日
セタリンとポンナレットさんの友達と言う
外国人(仮称ビアラオ・笑)が尋ねてくる
店が移転して数ヶ月、そういった方の来店が多い頃。

ビアラオさん、ふとチラシを見て
「自分の写真が使われている〜!!」
と怒っている。

でもこの写真古いよ〜???
聞けば戦争前にカンボジアに居て
そのとき、たまたま来た舞踊団を撮ったものとか
あらそういえば、彼がセタリンにくれた写真が店にもあった。

山中さんの連絡先は、チラシにある
ビアラオさん、さっそく連絡したらしい
「なんで勝手に使うんだ!」と

その後のやり取りを勝手に省略すれば
山 「写っている本人来ます、師匠です」
ビ 「撮った本人です、じゃ再会します」

写っていた被写体の人は、山中さんの師匠
あの時代を生き抜いた、貴重な天女の一人。
生きていたおかげで、日本人の弟子を持ち
その弟子(山中さん)のおかげで来日となる。


そしてその時 2006年09月30日 日野
私が行ったときは、出演する山中さんが音あわせ中。
やがて人も来はじめ、ポンナレットさん、ビアラオさんがそろう

そして山中さんと師匠の舞踊が始まる
踊りを見るビアラオさん
あの時の踊り子は、踊り子として
時を越えて、再度カメラマンの前に光臨。

すべてが終わったとき、山中さんから
今回のエピソードが語られる。

ポンナレットさんが通訳して、意思疎通がはじまる。
もう答えはわかっているのに、ビアラオさんから
師匠に、あの時あの場所にいたことを確認する質問が飛び
回答に「Yes、Yes」とうなづく、そして
「この写真を撮ったのは私です」
と、自己紹介になるその流れ、ドラマのようでした。

そして観客も驚く不思議な話の、周りのエピソードも語られる。
きな臭くなりつつある、当時のカンボジア状況
あの時代の踊りを取り巻く環境
その時から今まで、お互いが過ごした時間。

撮ったビアラオさんは、当時なぜか誰にとがめられることも無く
舞台裏まで入れ、忙しそうに準備していた踊り子達を撮影。
その後の動乱でカンボジアを脱出し、日本へ流れる。

撮られた写真は、人の手を伝って写った本人に渡り
今回の来日イベントで使用され
撮った人がそれを見て、主催者に連絡した。

師匠に、当時の写真を見せるビアラオさん
長髪ヒッピー風で
「なぜとがめられず裏まで入れたんだろう」
「外国人だからかな?」
(未来のサプライズをみすえた、クメールの神のいたずら?)
なんだか面白い時間でした。

写真を見なければ、撮影者が気づくことが無かった来日
一枚の写真のおかげで、時を越えて日本で再開となる。


その後、ここで出あった皆さんは、お互いちょくちょく交流。
写真が取り持つ縁は、時も国も超え
すべては丸い円となって繋がりました。


これがその写真

カンボジアの写真2

私は、自力で切り開くバックパッカーではない
パラサイト・パッカー(寄生旅行者)です。

カンボジアは、国際交流でたまたま知り合った
在日カンボジアンが 「お盆に帰省するから来る?」と
何気に誘ってくれたから寄生して行くことにしただけ
だって、ネイティブのエスコートがあると楽だから。

そのため興味が無いどころか知識も無い
遺跡は、アンコール・ワットしか無いと思っていた。
伝え聞くイメージ、見る写真は、どれもワンパターン

な〜んも考えずに行って驚く
「日本の写真嘘や〜」
日常ぜんぜん違うじゃない

その日から、とにかく日常の記録パシパシ
「伝えねば、伝えねば」
で、撮って〜撮って〜撮りまくる。

一緒に行ったクメール人に
「日本ではきちんと伝わってない、ちゃんと伝えるから協力して」
と言ったら、「よっしゃ」と、撮った物の意味を説明してくれたり
撮影許可をとってくれたりで、本当に感謝してます。

とはいえ、帰省旅行のあくまで+1
おんぶに抱っこのおまけの存在
『ああ!!ここ撮りたい、車止めて欲し〜い』
と思っても、移動中にそれも言えないこともあり
ここが、撮るために入った写真家と違うところ。


カンボジアに連れて行ってくれた家族は、王室画家の方で
ウドンに行ったとき、修復した塔を指して
「この部分の絵を担当しました」 と言う方。
バッタンボーンでは、新しく出来た寺の装飾を見たりと
日常以外にも、いろいろ見せていただきました。

シェムリアップでは、アプサラ機構に働く親族の方と食事
私「アンコールワットの階段危ないよ〜」と言ったら
ア「でも遺跡だから、手を加えたくない」
私「横浜の赤レンガは、旧階段の上に、ゆるやかな階段を
  覆うように着けたよ、置くだけなら穴は空けない」
なんて図を描いて説明しました。

最近、ワットの階段が、そんな感じに工事している写真を目にし
「まさか意見とおった??」
ちょっとワクワク。
もしそうだったら、中華街のメイン通りに続く、名前は残らないが
影響は与えたかも〜2。


そんなこんなのカンボジア旅行、クメール家族との1ヶ月
プノンペン、タケオ、ウドン、シェムリアップ、バッタンボーン
コンポンソム、コンポンチャム、ええと・・・ウルルンで出た焼き物の村
親戚の家、時にホテルなどを点々して過ごしました。
移動はパジェロ、陸路で寄り道しながらGoGo

最初がこれですから、恵まれていました。


■帰国して
さっそく写真をホームページに載せる。
でも構築に時間がかかったので
多くはアルバム・サイトに載せました。

そこには
「この写真はカンボジアンの協力の元に撮られました
 カンボジア・イベントなどで使うときは、報告無く
 ご自由にお使いください。
 この写真の権利は、カンボジアのものであって、私の物では無いので」
と書いて。

でも・・・インフォシークのアルバム・サイトが
楽天と一緒になった時にサービス終了
消えてしまいました。
ホームぺージも、膨大な写真を分類整理したPCが死んでしまい
未完成で終わる。
他の、綺麗なカンボジア写真が載ったサイトとは、比べられない出来。

写真使用では、神奈川県国際交流財団の
カンボジア・スタディツアーで使用されたくらいかな。


■そんな単純なサイトでも・・・
ある日、横浜でカンボジア写真展のイベントをやっている
というポスターを見る。
開催は今日!予約不要、場所は近所、時間は間に合う
バイクで来ていたので、そのまま向かう。

そこでカンボジアの親子に出会う。
その人と話したとき
「帰省に寄生して・・・・」
と言ったら
「あああ、あのサイトの人!!」
と言われる。

その人が、トムのオーナーセタリンの妹 ポンナレットさんでした。
カンボジアの正月で検索していたら、正月案内を載せていた
私のページを見つけたとのこと
(正月案内は、日本人向け公式ページが無いので、毎年載せてます)

写真を見て
「日本人にしては、めっずらしい写真もあるもんだ」
と思っていたらしい。
どうやら一部のクメールに受けていたみたい
特に長年帰国してない人には。

この時の縁で、アンコル・トムでパーティーを開催
やがてアンコル・トムがアンコール・トムとなって移転するとき
ポンちゃんに応援に呼ばれ、今に至る。

そのきっかけになったのがこのページ
http://cheaps.hp.infoseek.co.jp/Cambodia.htm
※アルバムサイトは消えています
※2003年の情報なので、内容が古いです。


写真から繋がった今の縁の話でした。

カンボジアの写真

※写真を撮る理由は人それぞれ、評価も人それぞれ
 それが前提の上で、個人の主観を書きます。
 今回のテーマは、カラー


■色が国を表し、色が時代を表す
カンボジアの白黒写真が苦手です
今、あの国には強烈な色があります。

白黒の写真を見ると、ポルポトの時代なのか
現代なのか、わかりません
暗黒の空に見えるから。

色が戻った国は、色を見せてほしい
豊かになるにつれ、町に色が増えるから。

えっ、最近増えすぎるから白黒で撮る? たしかに・・・
カラーは、色の中から撮りたい色を選ぶ(アングルの戦い)
夕日など欲しい色を待つなど
多くの色の中から「欲しい色」を抜く腕も必要
何でもリアルに主張してしまうカラーの大変さ。


■白黒の遺跡、カラーの遺跡
遺跡を白黒で撮ると 上品なたたずまい
でも取り囲む、空も土も木も苔も観光客もルーモーも車も
すべて遺跡の置かれた生なましい状況で
それもまた遺跡の姿
何より、素材で違う遺跡の色。


■カラーはリアル、白黒はファンタジー
裏路地も、白黒で撮れば どことなく芸術ですが
カラーで撮ったらただの裏路地。

カンボジアを白黒で撮る人は、カンボジアを
ファンタジーで切り取る人かも
写真の視点は、その人の視点
カンボジアの遺跡や環境に、芸術や癒しをもとめた人の心。


写真、映画、テレビが、白黒からカラーと進化したため
白黒とカラーは、時代を感じる境目にもなる。

白黒ゆえ、無意識に過去と思っている第二次世界大戦も
鮮明なカラー映像で見ると、遠くの事だと思っていたことが
最近の出来事のように思える、面白いものだ。
そういえば父の幼少時代は、戦争をしていた
あれはまだ2,3世代前のこと、その後の急速な映像技術の変化が
過去に感じさせる一つの要因となっているのだろう。


白黒のカンボジアは、暗い過去のカンボジアが
まだ続いているように見える。
子供が、遺跡の中の笑顔の住人といった、妖精にも見える
密林の奥でひっそりとたたずむ神秘の遺跡を演出できる


でも、どっこい元気に生きています
日々動いていますカンボジア
ファンタジー気分ぶっ飛ぶ、小憎らしい生身の方々。

その撮られる当事者、カンボジアンに見せて喜ばれたのは
今の自分達を表す写真でした。
大不評は、白黒イメージ・カンボジア写真
遺跡、笑顔の子供、裏路地、地雷、戦争、貧困etc
「また日本人はそれかい・・・・」


■商用写真
最近PROと思われる人は、遺跡撮影時に
別料金を取られるとのこと。
判断は、三脚とかアルミのカメラケースなど機材みたいだ
今は、簡素な機材と簡素なかっこうが無難。

まぁ〜今まで、撮った人が「自分の写真」として発表
それには権利があるが、撮られた人や遺跡には
利益が無かった(それが写真の世界と言えばそれまでだが)。

あるときセタリンが、バイヨンの写真をブログで使いたいので
遺跡フォトのサイトに、使用をお願いしたら断られた
著作権はわかるが、そもそもはカンボジアの物。

自由に撮ったのなら、自由に公開する気持ちもあっていいと思う
特にカンボジアンに頼まれた時は。
カンボジアは、撮影者を広く受け入れたのだから。

オラのだけ写真より、写真を生かして交流と思えば
もっと縁も繋がります。
次は、写真が取り持った縁の話。
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