帝劇に行ってきた。
やっと動き出した、帝劇でのSHOCKの時間。
3・11のことを思い出すと辛い人も多いと思う。
まだまだ傷も痛みも癒えていない。
それでも、動き出したSHOCKの時間。そして光一の笑顔がそこにある。
堂本光一が生きている場所へ。
光一とカンパニーのみんなが届けてくれる勇気のシャワーを浴びるために
僕はgomaと帝劇に向かった。
博多座でも光一は空間を支配していたけれど、やはりホームは帝劇。
ステージと客席の隅々までも光一の光が行き届いているのを感じた。
人も空間も温かかった博多座は、大歓迎でカンパニーを迎え入れていて、笑顔いっぱいの空間だった気がするけれど、帝劇という場所はどこかツンデレ(笑)
「光一が帰って来た!」という嬉しさは、あくまでもじわっと空間に漂う。
澄ました顔をしながら内心めっちゃ喜んでる、そんな印象。
堂本光一から放たれ、劇場の隅々まで届く無言の放射熱。
舞台も客席も、確実に温度が上がる。
宇宙空間では温度の高い星ほど青白く見えるが、光一の膨大な熱量も白い輝きだ。
青白い発光体が燃え尽きる姿を、僕らは毎回眼前にする。
その青白い炎が自分の服に髪に燃え移るのを感じる時、堂本光一という表現者に出会えた幸福を、天に感謝する気持ちでいっぱいになるのだ。
今回のレポは、僕の個人的なもの思いの部分が多いので、わかりにくいかも
ごめんね。
ちょっとでも共感してもらえる人がいるなら嬉しいけど・・・
gomaじゃないけど、何度も観てるはずなのに、今さら気づくこともある。
ほんとに自分の脳みその頼りなさにガックリしてしまう。
どーーしてこんなに「見えてない」んだよ自分!!
1幕の冒頭、オフでの千穐楽シーン。
舞台を終えたコウイチが楽屋で歌い出すと、まず一番前に出てくるのはスタッフ役のメンバーだった(!)これ、前からだっけ?・・・
スタッフを大事にする光一らしい演出だな〜と感心。
もうひとつ気づいたのは、屋上と告白シーン後の『ONE DAY』の違い。
屋上では、ウチ、マチダ、ヨネハナも一緒にいるが、曲の最後「・・・迷わずに想いを重ねよう そして1つになれば きっと夢は叶う・・・」を歌っているのは、コウイチとリカだけ。
ウチは少し距離を置いて立ち、マチダとヨネハナも口を閉じて、自分だけの何かを見つめている表情。
英詞でのハモリ以外、歌詞をともに歌うことはなく、ここでは彼らの想いがまだバラバラであることを示している。
その彼らが、告白シーンの後で歌われる『ONE DAY』では、ともに歌声を合わせる。
屋上にはいなかった他のメンバーもみんなで。
・・・迷わずに想いを重ねよう そして1つになれば きっと夢は叶う・・・
この歌詞を一緒に歌う仲間たちの姿こそ、今回のSHOCKの象徴なのだと思った。
この頃は車を運転中、つい『ONE DAY』を歌ってしまうのだ。(どうなんだこれ
聴くほどにいい曲だし、光一の歌声と表現はさらに深みを増している。
あのさ、言いたくないけど、Gの時はどんだけ抑えてんだよ?と思うね
光一の声質や音域に合った曲を、適正な音響で歌うとこんなにも凄い歌唱なのに、たまにTV番組で聴く最近のG曲ではその魅力は出せていないような気がする。
実に勿体ないG活動だよなぁ。
ま、僕はソロファンなので文句を言う筋合いもないんだけど。
ソロでの表現の場が少ないので、たまにGでの出演を目にすると、なんなんだこの勿体なさは!とくらくらするのだ。
だから、ソロシングル出してくれよーーー!!(笑)
刀のすり替えは、ウチの嘲笑を聞いた瞬間、コウイチには真相がわかっている。
あのウチの笑い声で、コウイチは逆上したのだ。
そして・・・周りが見えなくなった。
互いの心の暗闇の中で、意味のない死闘を続けたコウイチとウチ・・・。
あの壮絶なシーンは、まるで逆切れしたコウイチの自殺シーンのようにさえ思える。
いや、確かにコウイチは、ウチを追い詰めて自分を刺させたのだ。
シェイクスピアの劇中(コウイチ、オーナー、ウチの胸中)では、ウチを責め呪いの言葉を叫ぶコウイチだけれど、本当は自分がウチに罪を犯させたことに気づいている。
そのウチに真実を語らせ、彼を解放し、赦す(ゆるす)ために、コウイチは復活する。
表面上のコウイチはそのためによみがえったことを知らないが、命の奥底ではその役割を自覚している。
だから、ウチのステージに乱入し舞台を奪いプライドを叩きのめすような暴挙に出る。
さらに「インタビューしろ」と言って、徹底的にウチを追い詰める。
ウチがブチ切れて、真実を語れるように誘導するのだ。
このシーンの一連の流れは、これまでで最も理解しやすく、納得がいく。
それでも、説明過多にはならず、観客の思いに任せているのがSHOCKらしさ。
この光一のバランス感覚が僕は好きだ。
何度も何度も演じてきた告白シーンだろうに、光一の演技はまた一歩深化していた。
セリフに心をこめるということ、それを観客に届けるということ・・・堂本光一の演技は凄いよ。
観客の方が「なれて」、コウイチの言葉が感じられないとしたら悲しいと思う。
復活後のバックステージで、今シェイクスピア劇をやっているというヨネハナの言葉を受けて、「(正確ではないけど)お化けが出そうなくらい(さびれてる)・・・云々」というセリフがあるよね。
あのセリフ、博多座では、お化けが出そうな「暗い」と聞こえてたんだよ。(そんなのって僕だけ?)
でも、帝劇では「くらい」のあとに「、」(句読点)が入っていた。それで、ちゃんと「お化けが出そうなくらい」という言葉として、僕の耳にも届いた。
こんなふうに感じた人、他にいないかなぁ・・・。
僕は誰かが指摘したんじゃないかなと感じている。
関西人には解り辛い、ちょっとした言葉のニュアンスなんだよなぁと思っていたので。
もし誰かの指摘があったとするなら、今の光一座長にダメ出しをしてくれる人がいるってことが嬉しいし、それに対応できる光一が素晴らしいと思うのだ。
うーーん、こんなふうに感じたのは僕だけかもしれんけどさ。
他にも、慣れたはずのセリフでも「もっともっと」という向上心を感じる言い方の変化があったし、それは本当に光一のタフで繊細な資質によるのだろう。
慣れ親しんだセリフでも、光一はよりよく変えることができる。
新しいセリフにも魂をこめることができる。(オーナーを責めるセリフの素晴らしさ!)
あの声で、あの魂で演じられる芝居に、深く心を惹かれるのだ。
ダンスも歌も様々なパフォーマンスも最高なのだけれど、光一の芝居にも、本当に惹きつけられる。
屋上でリカに「ねえ、コウイチ」と言われ、「ん?」と返す声。←めっちゃ甘い(笑)
あるいは、ステッキダンスの途中。オーナー、マチダ、ヨネハナと4人でステッキを床に置くシーンがあるけれど、あの時、誰よりも丁寧に(やさしく)ステッキを置くのはコウイチなんだよね。
だから、あの瞬間だけ、ほんのワンテンポ、コウイチの振りはみんなより遅い。
それは芝居というより「素」なのかも知れないけれど、僕には、誰よりも繊細で愛情の深い人間としてのコウイチを感じさせてくれる。
みんなにも、物にも、やさしいコウイチ。
舞台にも、人にも、物にも、丁寧なコウイチ。
本物の一流になる人間には、徹底した丁寧さと深いやさしさ(情)があると僕は感じていて、それをコウイチの声や所作は示してくれる。
そしてそれが光一の素なんだなぁと思う時、光一が今のような存在になった理由がわかる気がするのだ。
ま、ちっちゃなことなんだけどね。
人間の本質は細部に宿る。そんな気がするんだよね。
今日書いたのは、そんなふうに感じない人には「何言ってんの?」な話だろうなぁ。
ほんと、わかりづらくてすんまへん。
「そうそう!わかる〜」と思う人が一人でもいてくれたら(笑)僕は満足です。あはは
まだ書きたいことはあるけど、長くなり過ぎるので、今日はこの辺で。
いいかげん寝よ。。。
こんな時間になっちゃったけど、昼寝をたっぷりしたので安心してちょ(笑)