2010年01月01日

明けましておめでとう

HAPPY BIRTHDAY 

 星(11)星(11)星(11) 堂本光一
星(11)星(11)星(11)

I hope you will have a great year !


光一ファンのみんな、明けましておめでとう!! 日の出
みんなにとって、素敵な一年でありますように。

いつもコメントしてくれる人、たまにしてくれた人、初めましての人・・・
コメントしなくても覗いてくれる人、みんな本当にありがとうですキラキラハート
今年もどうかよろしくお願いいたします。ニッコニコ 三日月

Posted at 01:30 | この記事のURL | コメント(48) | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

年末のご挨拶

ついに大晦日になってしまった。orz

あれもこれもやり残し、申し訳ない限りであります。。。たらーっ


みなさん、どんな夜をお過ごしでしょうか?

いろんなことのあった2009年が暮れて行く・・・雪流れ星星満月



会報は光一ソロ活動の号で、ソロコンとF1ゲストの特集。


F1へのゲスト参加は、鈴鹿ファンの僕にも本当に嬉しい出来事だった。
謙虚で、場のあり方をわきまえている光一の姿、何よりもF1大好き!な笑顔が見られて、一年に一度、光一にこんなご褒美 ウィンク1 があると嬉しいな〜と思う。


ステージ写真の数々に、あの時の感動が蘇る。

オープニングの燃え上がる障子の演出が、コマ送りで見れたのは嬉しい。
考えてみれば、物凄い演出だよなぁ・・・光一はすべてをサラッと見せてしまうけれど。

障子の陰にセリ上がりで現れる光一のシルエットが美しかったことを思い出す。
登場の一瞬に異空間に引き込む心意気、光一の面目躍如だ。

いかに照明に心を砕いて作られたかがわかるインタビュー。
劇場ならまだしも、あの大きなアリーナ空間を彩る照明を駆使できることが凄い。

“サングラス光ちゃん”もカッコいいなぁーー一目ぼれ
あの系統のダンスは本来苦手だったはず・・・(と推察)
でも果敢に挑戦し自分のものにする。それが光一。


冒頭のページに書かれたコトバがいい。


たったひとりから放たれるオーラが、
広い広い空間の
すみずみまでも満たしてしまう。
何万人もの人たちの心の中まで、
あまねく満たしてしまう。

めくるめく音と光とパフォーマンス。
この圧倒的なものを、
すべて胸に納めきるなんて無理だ。
想いは、ハジけそうだ・・・。



僕らが光一に期待し夢見るものも、このコトバの通り。
光一なら圧倒的なパフォーマンスで魅せてくれる!と確信するからこそ
望むことも多くなってしまう。
ソロのステージでは、光一の光を遮るものはない。


インタビュアーの言葉に「(妖は)玄人筋からも評価の高い楽曲。この作曲はただ者じゃないって。」とあり、そうだろそうだろ、と思う一方、そういう情報ってもっと広くファンにも教えてくれよ〜 炎 と思う。


インタビュアー泣かせの会話には、ほんとに不器用な人だ〜と苦笑い。
自分を飾る気がないので、彼の言葉は色々な装飾語が削ぎ落とされた言葉。
でも、女性は装飾語が好きだし必要だったりするんだよね?

飾って語る人を「いい人だぁ」と思い、飾らない人を「物足りない、愛が足りない」と。

僕らに観せてくれるために、一曲の照明を数小節ずつ決めていく、とほうもない作業をしているのは光一だというのに・・・「言葉が足りない」「あんな言い方して」と幻滅される。

彼がファンにそそいでくれる愛情は、言葉では表しきれないんだけどね。

どうしても、女性は言葉を必要とするんだよね・・・(僕は悲しい)冷や汗

でもそんな光一を理解し、愛しているのも多くの女性達で。


今年も、ここにコメントしてくれるみんなの深い心に感動した一年だった。

コメントはしなくても、いろんな思いでここを覗いてくれたみんなに感謝。


ソロコン初参戦のgomaは、ほんとに口を開けて見惚れてたなぁ。一目ぼれ2 あはは!

どうしても衣装にダメ出ししてしまう僕は、「月夜ノ物語」について言った。
「光一の衣装、重たいなぁ。むしろ女性ダンサーの衣装着てほしいよ(笑)」

それに対しgomaは目をしぱしぱして、返答なし。

「なんだよ?」

「うーーーん・・・女性ダンサー・・・どんな衣装だったっけ・・・見てない」

「@@!!」

光一しか見えてなくて、ダンサーの衣装なんか全く記憶にないんだと。

・・・・・負けた。ウーンたらーっ

純真な目で光一だけを追っていたgomaには、余計なダメ出しなんてないんだよな。

そんな新鮮な気持ちも大事だな〜と思う。ありがと、goma!



親戚一同が「紅白歌合戦」を見ながら宴会してる隙の更新。冷や汗キラキラハート(黄色)

バタバタと今年も終わるけど、すぐに新しい年がやって来る。

堂本光一の誕生日から始まる、素晴らしい2010年の幕開けだ。


この一年、ここに遊びに来てくれたみなさん、本当にありがとうございました。

ろくに更新もできず、時間に追われた一年でしたが・・・
ここを続けることができたのも、みんなのおかげです。

心から感謝しています。

来年もどうかよろしくお願いします。

2010年、光一ソロを堪能できる一年であるように祈りながら・・・

みなさん、よいお年を!! 三日月  あ、明日は満月だよ〜 ワーイ ok!祝い


Posted at 22:07 | この記事のURL | コメント(4) | 更新情報をチェックする

2009年12月29日

会報の表紙を見て

日曜日、会報が届いていた。

中身について書きたいけど、その前に思ったことを。
会報の感想は明日書くね。僕とgomaのソロコン感想も一緒に。ニッコニコ一目ぼれ



表紙に輝く Best Performance and Music の文字。


蒸し返すようで申し訳ないけど 冷や汗 ・・・Mステを見て光一に失望や怒りに似た感情を抱いた人は、光一が表現者として、この「Best Performance and Music」を裏切っていると感じたんじゃないかな、と思う。

表現者・堂本光一が好きだからこそ。信じてきたからこそ。

僕にはその気持ちもよくわかる気がする。

あのような行為が過去のトラウマを呼び起こして、胸が苦しくなった人もいるだろう。

ほんとに・・・みんなの心が悲鳴をあげたんだなぁって、僕も痛くなる。


適切な例えではないかもしれないが、食べ物のアレルギーを思わせられる。

一例をあげれば、そば(蕎麦)とかピーナッツ。ごく普通に、誰もが口にしている食品が、ある人には「死に至る食品」であったりする。

そばなんて、大好物という人から見れば、「うそ〜!なんで食べれないの?」って不思議だろう。
だけどアレルギーを持っている人にとっては、摂取すればアナフィラキシーショックという重篤な症状を引き起こす場合がある。死に至ることさえ。

そんな人に「食べなよ、なんで食べないの?こんなに美味しいのに」と勧めることは、(過激な言い方だが)殺人に等しい。

同じ食物でも、美味しいと思える人から、ひとくちでも食べれば倒れる人まで、さまざま。

ひとつの議題(テーマ)で討論しても、全員の意見が一致することなんて、ない。
そんなことは学校のクラスでも職場でも、僕らはみんな経験していること。

みんな、感じ方が違う。考え方が違う。
それぞれの目で、心で、ひとつの事象・ひとりの人をとらえる。

それで当然だし、それを認め合うしかない。

ただ大事なのは、アレルギーの人がいることに対して無知であったり、その人を軽蔑したりしないこと。理解できないと攻撃することもあってはならない。差別することも。

そういうことだけを思う・・・。


ひとつ前の記事も、そんな気持ちで書いたもの。

光一がGに馴れ合い、彼自身の持つ宝石のような魂を曇らすとしたら、悲しい。そう思う人達の気持ち、痛いほどわかる。

僕は全身全霊のパフォーマー・堂本光一が好きなんだから。

と同時に、いつでも自然体で、余計なことを考えず、心のままに振る舞う光一が、大好きなんだ。



理性の部分では理詰めで端正な考え方をする彼が、一方で子どものように無邪気で大胆で恐れを知らない部分を持っている。

だから、「Endless SHOCK」がある。

恐れを知らぬ冒険心があるからこそ、あんな作品が作れる。
それは、野性、と言ってもいい。

クールで真摯でストイックなだけじゃない、彼には土の匂いのする、丸裸の野性がある。
僕はそう感じる。

都会のマンションに飼われた猫ではなく、密林を駆ける豹のような。

それは攻撃性を秘めてはいるが、甘く香り立つ野性。
むき出しの野性の魂が、彼をチャームのある人に見せる。
何も作っていない顔が美しい。無意識のしぐさが愛らしい。

そのままで、甘えてくる。恐れのない動物のように。

その強烈な甘えの芳香に、男の僕でさえ酔うのだ、意識下の野性が共鳴して。


堂本光一のパフォーマンスに惹かれる自分の意味を探っていった時、僕の中にも潜んでいるだろう野性・・・原始の血のようなものが、男のリーダーとしての彼に引き寄せられるのだ、と思い至った。

彼の側にいると、安心なのだ。

僕も一匹の動物になって、伸びをしていられるのだ。

こんなふうに感じさせてくれる男は、堂本光一以外に知らない。


ま、これも僕だけの感じ方であって、全然共感できない人は多いかもしれないね。ウィンク1


えーーーと、何が言いたいかというと、Mステにしても他の番組にしても、彼はその場の空気を察知して、自由に動く人なんだということ。野性の本能のままにね。

あのとき、振り付け通りに「見詰め合って歌う」ことをやろうとしただけだよ、実は。

しかし、司会者の言葉に過剰反応したゆえか、ホレホレ、ちゃんと見詰め合おうぜ!(そういう振りだろ、ここは)っていうつもりのにじり寄りに勢いがつき。
すぐに「おっと、勢いつき過ぎた」と判断して止まり、歌に集中しようと切り替えた。(この辺、見れる人はよく見てみるといい)

続く事態は、本当に想定外。逃れたあと、ブルッてたぞ、身体が。(笑)
ああいうのが苦手なくせに、なぜか学習能力に欠けるんだよな。
いつまでも子どものように、へへ〜!という気分でいるんだろう。

アホだけど、好きなんだよなぁ、あんなとこも。

歌い終わって、調子に乗りすぎたことを反省してた姿も可愛いぞ、実際。


あれを、「光一の表現者としての変節」みたいに思われては、ほんとツライよ・・・涙ポロリ


それもこれも、「堂本光一のほんとのとこ」つまり彼のパフォーマーとしての真の姿を、TVでは見せていない、見させてもらえないことのジレンマから発している。

白鳥のダンスも彼らしく優雅ではあったけれど、ふふ(鼻で笑う)あんなもんじゃないからね!

堂本光一が観せたいものとGでの表現は、当然ながらまったく別物。

そして、本人が言うように「一番自分らしく在れる」のはソロのステージだから。

僕ら光一ファンとしては、モッタイナイ精神が燃え盛るわけさ。

何してんの、そんなヘンなことやってないで、本当の堂本光一を見せてくれよ!と。


光一に対して、テンション下げることが一番モッタイナイ。

そんな無駄なことしてるより、テンション上げて、彼のソロ活動を応援しよう。

そうしよう! 力こぶ メラメラ


僕は光一ファンのみんなが好きで、大事だから。祈るような気持ちでこれを書いてること、わかってくれたら嬉しいと思う。

堂本光一を、低く評価しないでくれ。そんな勿体無いことしないでくれ。

みんなが好きになった男は、間違いのない魂を持っている人だよ。三日月



僕の方も勢いがつき過ぎ、うう、とうとう徹夜してしまった・・・今日も出勤なのに。たらーっ

職場で掃除と納会、早めには帰れるので、それから寝よ・・・(僕の予定はどうでもいい)


じゃあね、みんなも一日元気で!

病気や悩みと戦っている人も、一緒に歩いて行こう、光一のステージまで。ok!キラキラハート


Posted at 05:51 | この記事のURL | コメント(10) | 更新情報をチェックする

2009年12月27日

年の瀬や・・・

有名な俳句。


年の瀬や 水の流れと 人の身は

あした待たるる その宝船


知ってる人ーーーー?point! ウィンク1

歌舞伎の忠臣蔵に出てくる句なんだよね。
俳人・其角が上の句を詠み、赤穂浪士のひとり大高源吾が下を続けたという設定。
実際には忠臣蔵作者の句とされている。

僕は小学生の頃、宝塚の舞台で忠臣蔵を見て、この句が印象に残った。
(あの舞台の完成度、静謐な美しさ、演者達の素晴らしさは、今でも雪の中に閉じ込められたまま、僕の目の奥に残っている気がする)
歌舞伎とはまったく違う世界だけど、よく宝塚で舞台化したなぁと今でも感心。
母に言わせると、「あの時の雪組だからこそ出来た作品よ」らしいけど。


赤穂浪士(義士)という存在が、好ましいもの、正しいものとして語り継がれる日本。
ぶっちゃけ、今の世に彼らがいたら、まさにテロリストであり殺人集団。冷や汗

「仇討ち」が、少なくとも心情的には許されていた時代があったこと。
今でも、正義・大義のためには「悪いやつ」を懲らしめてやりたいと思う、僕らの心。
法律では許されず、個人的な復讐もできないが、どこかで誰かが(神様か仏様か?)悪人の悪行を見ていて、いつかは罰が当たるに違いない・・・そう信ずる心。
それが自分への戒めにもなっていたり。

直接的な仇討ちの許されない時代に生きている意味を、ちょっと考える年の瀬である。


のっけから「ナンの話してんの?」って感じでごめんね!たらーっ

この頃勉強になることが多くってさ(笑)

「まみくとい」の謎!! みんな知ってたのかな〜(僕だけ?無知なのって)棒人間7
まみくといさん、ありがとう!拍手

北信五岳(ほくしんごがく)=斑尾山、妙高山、黒姫山、戸隠山、飯縄山
それぞれの山の頭文字をとって、まみくとい。わぉ!ビックリ!
長野県や新潟県の人には常識なんだろうね〜失礼しました!

知らないことだらけだ、この世は。ううむ。。。ワカラン


あまりにも「知らないこと」が多いので、自分の感性だけを頼りに生きていると、足をすくわれる。こける(笑)。怪我をする。

知らないことは罪だと思う。
知ろうとしないことは、もっと罪だと思う。
知ってて無視することは、さらに罪だと思う。

だから知りたい、学びたい、何が真実かを見極めたい。
間違いのない判断をしたい。

それでも、最終的に核になるのは、自分の感性だ。自分の信念だ。
どんなにブザマに失敗しようと。
立ち上がるのも、こけて地面に手をついた、その自分の手で起き上がるしかない。


僕は、間違っているかもしれないが、自分の声として言いたい。



堂本光一を批判するのは


やめてくれ!!
 と。



あらゆる言動込みで、僕は彼が好きなんだ。尊敬してるんだ。

彼が間違ったことをする、それもアリ。
くだらないことを言う、それもアリ。

ん〜・・あのクセはやめてほしい、それもアリ。
あ〜・・もっとこうしてほしい、それもアリ。

どんな不満点があったとしても、堂本光一だよ?

現代日本のステージ・音楽シーンで、僕が総合的に最高だと思う男。

光一を過小評価している人には絶対にわからないだろうけど。
そんな人はGでの光一しか知らない、目に映らない人だから、どうでもいい。

少なくとも、光一を認め好きだと思っている人に言いたい。

堂本光一の100%を愛さなくていい。
彼は、いろんなものを背負った複雑な多面体だ。

好きな角度から愛せばいい。
キライな角度の彼を修正しようとするのは、無理がある。

でも何とか修正したくて、ファンとしてガンバってしまうんだけどね僕らは。
限界があることも知っておかないと、彼を責める気持ちが出てしまう。

僕らがキライな角度にも、彼は責任を負っている。

そして、その責任を果たそうとする彼だからこそ、僕は信頼し尊敬する。

耐えることを知っている男は、常に女性から物足りないって批判されるんだ(笑)たらーっ



先日のMステ・スーパーライブは録画で見た。

完全にコンサートモードのままで、それでよしと思ったんだろうな。「今夜は祭りだ」と。

コンサートなんか関係ない、光一のパフォーマンスだけを楽しみに見ていた人達が愕然とするとも知らず(あははは・・・あの人、ほんとに自分の損得は一切考えないから!)。

まさか頭に手をやられるとは、そんな事態になるとは ガマンガマン 何やってんだ俺達!!って内心蒼ざめていく様子がアリアリとわかったけどな。だんだん、笑い顔が皮膚の下で硬直していった。
最後はマジ反省してたぞ、あれ。

でも翌日には忘れてるね、絶対。あははは!


面白いなぁ、堂本光一。

あんな無邪気で無防備な人知らないよ。

あそこまでピュアだから、いろんなことに染まらないんだろうなぁ。

かなりどす黒いものさえ混じりかねない環境で、ひとり太陽のようだもん。

呆然と見つめるだけだな、僕なんかは。眩しくてたまらんけど。ふははっ


みんなさ、光一に惚れ込んでるんだろう?

その自分を好きでいればいいさ。

自分が辛くなるような物思いは、年の瀬のすす払いと一緒にバイバイだ。

どんなことも、結局光一が浄化してくれる。ほんとに。



この文は、一面的なものであって、読んでくれるみんなの気持ちとはズレがあると思う。
いろんな角度のひとつ、と思ってくれたらありがたい。

光一ファンが楽しくいられるように。泣かないでいられるように・・・それだけを願う。三日月

Posted at 18:47 | この記事のURL | コメント(40) | 更新情報をチェックする

2009年11月28日

ファイナルカーテンコール

27日金曜。「THIS IS IT」千秋楽の夜だった。


先週gomaが「僕も観たい〜メラメラ」と叫んだので、どうせならオーラス(笑)とネット予約をした。
22日の日曜だったが、その時点で27日夜の最終回がなんなく取れた。
すると翌日のスマスマで特集があったらしく、火曜には全席埋まったとのこと。
間一髪でセーフだった模様(結構いい席が取れ・・・しかしここで運を使うか冷や汗

今夜僕らが行った映画館は、目一杯満席。ラウンジの椅子まで投入@@ビックリ!
通路にクッション置いて座ってる光景、初めて見た。

予告編なし、拍手あり、叫び声(マイコー!とかフゥーー!)あり、最後は全員総立ち。
映画館でのスタオベって、初体験だよ。
「マイケル、ありがとうーー!」の声、声。一夜限りの仲間、いい観客達だったなぁ・・・。


二度しか見ていないけど、二度目の方が更に深く感動した。


オーディションに合格し共にリハーサルを重ねてきたダンサーやミュージシャンの面々。
彼らは、MJの死を、どこでどうやって知ったのだろう・・・。
その時の彼らを思うと、心底いたたまれない。
こんな残酷な出来事があるだろうか。

MJと仕事ができることを、涙ぐむほど感激し興奮し歓喜していた彼ら。
僕には想像することもできないけれど・・・どれほどの衝撃、悲嘆、苦しみだったことか。
50回のステージを目前に、すべてが失われるとは。

今、どんなふうにMJの死を受け止めているか、わからないけれど。
どうか、この映画を観てほしいなと思う。

MJと自分達はもっと完璧なステージをやるはずだったのに、と思うかも知れない。
これは記録フィルムであってステージじゃない、と思うかも知れない。
それでも。
こんなに凄い仕事を僕らに見せてくれたことを、誇りに思ってほしい。

映像になっているのは未完成のものに過ぎなくても、完成品以上に「仕事」のあり方を教えてくれる。
MJの仕事がどんなものだったかを、(ファンとしても)未熟な僕にも見せてくれる。


完成品こそ仕事だ、とMJはきっと言うのだろう。
自分のすべては観客を前にしたステージにある、と。

だが、過程を見たい、何をどう作り出そうとする人なのかを知りたい。その欲求もまた僕にはある。

何気ないスタッフとのやり取り、若いメンバーを導く姿・・・そこにMJの本質を感じ、彼を好きになる。
本当に見ていると好きにならずにはいられない人だ、MJという人は。



この感じは、堂本光一を知った時の感覚とシンクロする。(←出たよ冷や汗


光一もまた、仕事のやり方、リハ風景がMJと重なる。

彼らはどちらも、言葉遣いが優しい。シビアな現場でも穏やか(指摘は鋭いが)。
スタッフにも共演者にも謙虚な態度。しかし判断は決然として的確。
そして、すべての挙措が上品。
どこか超然として侵しがたい雰囲気を持っているところも似ている。
あ、スリムパンツが似合うところもね。ウィンク1 ok!


何よりも強く感じるのは、めざすものが同じだということ。
観客に見せたい世界が一緒だ。その方向性が。

曲の持つ世界観を、ダンス、歌唱(コーラス含め)、映像、特殊効果・・・等々を駆使して表現する。
ひとつの曲を立体化して観客に供する。
苦闘を伴った贅沢な挑戦。それが観客には最高の喜びになる。

「観客を楽しませる」ことだけが望み。
MJの魂と光一のそれは同質だ。



50歳という年齢は誰か別の人のものだろ?
あなたには年齢はないんだろう?
そう言いたくなる。

こんな人が、10年もステージに立てなかったのか。
ステージに立つために生まれてきたようなこの人が。

失われた10年は、世界の損失だ。僕の損失だ。
僕は本当にMJを知らなかった・・・。


芸能人、芸術家には、持てる最高のものを表現すべき義務(使命)がある。
それを見せないのは罪だ。

MJには致し方ない事情があったとは承知するものの、残念でしょうがない。
「永遠に失われた公演、そして未来」と「失われていた10年」が。



MJと光一を併記するのはどうかと思うが、やはり願いは繋がっていく。
光一にも、自身の最高・最善を表現してほしいと。
悔いなく表現できる場に立っていてほしいと。

ファンもまた限られた時の中で生きている。
そのファンにも、自分自身にも「失われた・・・」という思いをさせないように。

50歳のMJは驚異ではあったが、ステージの中心に立つ人は永遠ではいられない。
MJもそれを知るからこそ、「今回がファイナルカーテンコール」だと。

堂本光一の輝きを、今、見せてほしい。
出し惜しみも、不要な仕事もなく。

見るはずだった、見せてくれるはずだった世界を奪うことのないよう・・・
MJファンの悲しみは、奪われた痛みでもあると思うから。



goma(@芸能オンチ)は、生まれて初めてまともにMJを見たらしく。
・・・呆然としてたな。あははは!

感想も断片的(笑) 
goma 「中性的な人だよね」
 僕  「うん、性別なんか超越した存在って感じだね」

goma 「手が大きいな〜と思った」
 僕  「それ僕も思った。手だけは男を感じさせるな〜」

goma 「いろんな演出があったけど、その内やりそうだね、うちの人が」
 僕  「(うちの人って光一かよっ)・・・あの花火みたいのとか?」
goma 「うん、あと炎が走るやつとか、人数が増えるCGとか」
 僕  「(やりそう)」

光一ソロコンの障子が燃え上がる演出も、MJに見てほしかったな・・・。

光一の志はMJに続くということを確信するgomaと僕だった。



なんか、にわかMJファンもどきで、本当を言うと申し訳ない気持ちでいる。

長い間ファンだった人には、片腹痛いって嗤われるだろうけど・・・。

MJを認識させてもらったことに、素直に感謝している。


幻となった公演、実現していたらものすごい完成度だったと思う。
世界がどんなに熱狂しただろう、50歳にして才能と努力の塊の一途で純粋な人に。

それは見果てぬ夢となったけれど、今夜僕は小さな映画館で、完成されたステージにも匹敵する熱狂を体験した。
MJの子どものような年代の僕らが、心から震え感動した。

真摯であった人だけが与えてくれる、美しいギフトを受け取った。

MJ・・・何度も言う、本当にありがとう。

あなた自身も、そして、あなたに影響を受け、あなたのように挑戦し続ける人を生み出してくれたことも、その人の手でこれから生まれてくる作品達も・・・みんな、あなたからの贈り物だ。

今夜、最後のカーテンコールに参加できたことを誇りに。 MJに乾杯!三日月


Posted at 06:34 | この記事のURL | コメント(41) | 更新情報をチェックする