27日金曜。
「THIS IS IT」千秋楽の夜だった。
先週gomaが「僕も観たい〜

」と叫んだので、どうせならオーラス(笑)とネット予約をした。
22日の日曜だったが、その時点で27日夜の最終回がなんなく取れた。
すると翌日のスマスマで特集があったらしく、火曜には全席埋まったとのこと。
間一髪でセーフだった模様(結構いい席が取れ・・・しかしここで運を使うか

)
今夜僕らが行った映画館は、目一杯満席。ラウンジの椅子まで投入@@

通路にクッション置いて座ってる光景、初めて見た。
予告編なし、拍手あり、叫び声(マイコー!とかフゥーー!)あり、最後は全員総立ち。
映画館でのスタオベって、初体験だよ。
「マイケル、ありがとうーー!」の声、声。一夜限りの仲間、いい観客達だったなぁ・・・。
二度しか見ていないけど、二度目の方が更に深く感動した。
オーディションに合格し共にリハーサルを重ねてきたダンサーやミュージシャンの面々。
彼らは、MJの死を、どこでどうやって知ったのだろう・・・。
その時の彼らを思うと、心底いたたまれない。
こんな残酷な出来事があるだろうか。
MJと仕事ができることを、涙ぐむほど感激し興奮し歓喜していた彼ら。
僕には想像することもできないけれど・・・どれほどの衝撃、悲嘆、苦しみだったことか。
50回のステージを目前に、すべてが失われるとは。
今、どんなふうにMJの死を受け止めているか、わからないけれど。
どうか、この映画を観てほしいなと思う。
MJと自分達はもっと完璧なステージをやるはずだったのに、と思うかも知れない。
これは記録フィルムであってステージじゃない、と思うかも知れない。
それでも。
こんなに凄い仕事を僕らに見せてくれたことを、誇りに思ってほしい。
映像になっているのは未完成のものに過ぎなくても、完成品以上に「仕事」のあり方を教えてくれる。
MJの仕事がどんなものだったかを、(ファンとしても)未熟な僕にも見せてくれる。
完成品こそ仕事だ、とMJはきっと言うのだろう。
自分のすべては観客を前にしたステージにある、と。
だが、過程を見たい、何をどう作り出そうとする人なのかを知りたい。その欲求もまた僕にはある。
何気ないスタッフとのやり取り、若いメンバーを導く姿・・・そこにMJの本質を感じ、彼を好きになる。
本当に見ていると好きにならずにはいられない人だ、MJという人は。
この感じは、堂本光一を知った時の感覚とシンクロする。(←出たよ

)
光一もまた、仕事のやり方、リハ風景がMJと重なる。
彼らはどちらも、言葉遣いが優しい。シビアな現場でも穏やか(指摘は鋭いが)。
スタッフにも共演者にも謙虚な態度。しかし判断は決然として的確。
そして、すべての挙措が上品。
どこか超然として侵しがたい雰囲気を持っているところも似ている。
あ、スリムパンツが似合うところもね。
何よりも強く感じるのは、めざすものが同じだということ。
観客に見せたい世界が一緒だ。その方向性が。
曲の持つ世界観を、ダンス、歌唱(コーラス含め)、映像、特殊効果・・・等々を駆使して表現する。
ひとつの曲を立体化して観客に供する。
苦闘を伴った贅沢な挑戦。それが観客には最高の喜びになる。
「観客を楽しませる」ことだけが望み。
MJの魂と光一のそれは同質だ。
50歳という年齢は誰か別の人のものだろ?
あなたには年齢はないんだろう?
そう言いたくなる。
こんな人が、10年もステージに立てなかったのか。
ステージに立つために生まれてきたようなこの人が。
失われた10年は、世界の損失だ。僕の損失だ。
僕は本当にMJを知らなかった・・・。
芸能人、芸術家には、持てる最高のものを表現すべき義務(使命)がある。
それを見せないのは罪だ。
MJには致し方ない事情があったとは承知するものの、残念でしょうがない。
「永遠に失われた公演、そして未来」と「失われていた10年」が。
MJと光一を併記するのはどうかと思うが、やはり願いは繋がっていく。
光一にも、自身の最高・最善を表現してほしいと。
悔いなく表現できる場に立っていてほしいと。
ファンもまた限られた時の中で生きている。
そのファンにも、自分自身にも「失われた・・・」という思いをさせないように。
50歳のMJは驚異ではあったが、ステージの中心に立つ人は永遠ではいられない。
MJもそれを知るからこそ、「今回がファイナルカーテンコール」だと。
堂本光一の輝きを、今、見せてほしい。
出し惜しみも、不要な仕事もなく。
見るはずだった、見せてくれるはずだった世界を奪うことのないよう・・・
MJファンの悲しみは、奪われた痛みでもあると思うから。
goma(@芸能オンチ)は、生まれて初めてまともにMJを見たらしく。
・・・呆然としてたな。あははは!
感想も断片的(笑)
goma 「中性的な人だよね」
僕 「うん、性別なんか超越した存在って感じだね」
goma 「手が大きいな〜と思った」
僕 「それ僕も思った。手だけは男を感じさせるな〜」
goma 「いろんな演出があったけど、その内やりそうだね、うちの人が」
僕 「(うちの人って光一かよっ)・・・あの花火みたいのとか?」
goma 「うん、あと炎が走るやつとか、人数が増えるCGとか」
僕 「(やりそう)」
光一ソロコンの障子が燃え上がる演出も、MJに見てほしかったな・・・。
光一の志はMJに続くということを確信するgomaと僕だった。
なんか、にわかMJファンもどきで、本当を言うと申し訳ない気持ちでいる。
長い間ファンだった人には、片腹痛いって嗤われるだろうけど・・・。
MJを認識させてもらったことに、素直に感謝している。
幻となった公演、実現していたらものすごい完成度だったと思う。
世界がどんなに熱狂しただろう、50歳にして才能と努力の塊の一途で純粋な人に。
それは見果てぬ夢となったけれど、今夜僕は小さな映画館で、完成されたステージにも匹敵する熱狂を体験した。
MJの子どものような年代の僕らが、心から震え感動した。
真摯であった人だけが与えてくれる、美しいギフトを受け取った。
MJ・・・何度も言う、本当にありがとう。
あなた自身も、そして、あなたに影響を受け、あなたのように挑戦し続ける人を生み出してくれたことも、その人の手でこれから生まれてくる作品達も・・・みんな、あなたからの贈り物だ。
今夜、最後のカーテンコールに参加できたことを誇りに。 MJに乾杯!